人は、
自分の誉れを得るが為に人から奪い、
自分の誉れを拒否するが為に人から奪う。
根底には善意もあれど、
更に深くにあるのは利己的な恐れだ。
それに気が付かない。
気が付けない。
その言動は、
人から何かを奪っていないか。
そもそも奪うとは何か。
一度じっくり考えてみると良い。
エネルギー、
時間、
想い、
感情、
成果、
機会、
学び、
気付き、
お金、
物、
人生、
他は何がある?
まだあるかもしれない。
私も奪った。
私も奪われた。
ここ最近にもその気付きがあった。
昇華された想いもあった。
その時はわからなかった。
だけど、
奪い奪われのやり取りは、
疲弊のエネルギーを蓄積させるだけだと学んだ。
いっときはそうあっても良い。
いつかの気付きの種となる。
だけど気付けるように、
いつも観察しなくてはいけない。
奪ってはいないか。
奪われてはいないか。
奪ってはいないか。
奪ってはいないか。
自分の根底にある想いを、
よく見るんだ。
よくよく見るんだ。