本日は阪神淡路大震災から23年目の節目。
そして新月です。
私ごとでは、200記事目の投稿。
様々な節目が重なっている日です。
振り返ってみれば、
23年前のあの日がきっかけで私の意識は変わり始めました。
高校生だった私はそれまで、
死にたいと思っていたり、
周りの友達に対しても酷い事を思いながら過ごしていました。
生きる事の意味を見出せず闇に潜って行ってたんです。
しかし、
1995年1月17日、午前5時46分に起こった地震。
あの時の私は、不謹慎ながらも、揺かごを揺らされているかのような実に心地良い目覚めでした。
全く「死」を感じず、むしろ喜びを感じていたのです。
しかし目を覚ませば照明の傘が真上で暴れています。揺かごじゃない。
冷静に考えると、もし揺れの方向が東西であったなら、
私は直ぐそばにあった大型タンスが倒れて下敷きになっていただろう状況です。
幸いにも揺れの方向に助けられて、
あの酷い揺れにも関わらず家の中は殆ど被害がなく、
凄かったねぇ怖かったねぇで、その時は事なきを得たのでした。
しかし、惨事を知るのはその後の事。
私たちは何事もなく助かったけれど、
あの地震によって失われた命がすぐ側にあるという事実を知ります。
死にたいと思いながら過ごしていた時期に、
望まない死を迎えた人がいた。
これまで生活していた場所を奪われた人がいた。
生き別れ残された人がいた。
その時のショックは非常に大きいものでした。
自分の愚かさを恥じました。
何もしていないのに現状を憂う自分を恥じました。
そこから、
私は「生きよう」とどこかで思い直したのです。
死にたいと思う気持ちがいつの間にか失せていました。
何か出来る事があるはず、と。
今日、別の事で「生きる事への情熱」を思い出させてくれた出来事があって、
この節目にくれた気付きの数々に感謝の想いを抱いておりました。
過去にあった悲しみは、
過去に戻るためにあるのではなく、
気付きや学びを我々に与え、
それを糧に私たちが前に進めるようサポートしてくれる存在なのだと私は思います。
そして今、
目の前にある出来事もまた、
気付きや学びを与えてくれる尊いもの。
だからこそ、
何をどう見てどう行動していくのかが問われます。
今年、私にとっては実践の歳となります。
あの日の決意、
「生きる」という事。
もっと具体的に意識しながら、
行動していこうと思います。
この節目に素晴らしい気付きの数々をいただきました。
あの日、天に召された皆々様に改めてご冥福をお祈りしますと同時に、
様々な気付きとサポートに心から感謝を申し上げます。