自分のやりたい事をやろう
と言われても
やりたい事って何?と思ってた事があります
例えば
人生の目的とか学びの目標とか
そういう具体的な進むべき道かな?
なんて考えたり
他には
ご自愛だとか言って
珈琲や紅茶をいただくのに
普段300円や1,000円で済むようなものを
ホテルのラウンジに出向いては
ケーキセットやアフタヌーンティーなど
一杯1,200円からの飲み物
3,000円を超える軽食を優雅にいただいてみたり
私はその価値があるんだ!と言い聞かせて
ほんの僅かな金額ならケチらず
少しでも楽が出来る手段を選んでみたり
自分が理想とするイメージはこんな人だから
それに必要な事を少しでも手に入れたいと
「ご縁つなぎ」と銘打っては
あちこち出向いてみたり
他にも色々な事を
自分のやりたい事と思ってやってきました
しかし
本当の「自分のやりたい事」って
そんなに大きな事じゃないんだと
今になってようやく腑に落ちました
先に書いた事ももちろん
自己価値を上げるのに大いに役立ちましたし
私なりに色々な世界を見れたからこそ
自分の中の土台も広く大きくなり
自分にとっての必要と不必要の違いを
以前よりも理解出来るようになり
視野も変わり
想いも変わり
描く事も変わり
様々な変化をもたらしてくれた
有難い経験です
だけど
「自分がやりたい事をやる」
の本当の意味に辿り着く為の伏線だったように思います
断捨離をしながら
日々それを実感しています
身の回りの物が減り
自分が過ごす空間のエネルギーが
どんどんと軽くなるのを体験して
私を抑えつけるものからの解放を
強く望んでいたのだなとかんじています
これまでは
内側から打破するために
先の行動を通して
内側を強化しようとしていたのですね
それはそれで有効でした
しかし
私は私のままで良くて
強くなろうとなんかしなくて良くて
ただ
自分の周りの不要なものを手放せば良かったのです
そして
その瞬間にかんじた事を
そのまま行動に移せば良かったのです
例えば
トイレに行きたいと思ったら行くように
机の上が散らかってるなぁと思ったら
片付けたいという想いがあるという事だから
すぐに片付けるとか
アレが食べたいなぁと思ったら
面倒がらずに作るとか
今日はダラダラしたいと思ったら
何を差し置いてもダラダラするとか
誰かに言われた事が自分の意に沿わないのであれば
自分はそうではないと伝えるとか
(批判したり文句を言うのではない)
聞きたくない事を聞かないとか
見たくないものは見ないとか
休みたければ休むとか
不安になりたくないのに
何かの不調のネガティブな要因を探しては
やっぱりそうなんだわ!と追い込んだりしないとか
コレをしないといけないんだけど
なかなか出来なくて…と放っている事を
例えそれが遊びであったとしてもちゃんとやるとか
一緒に居てしんどいなと思ってるのに
仕事だからとか
あの人との関係があるからとか理由をつけて
無理して一緒に居るのを辞めるとか
ちょっとした「モヤ」っとした事を
全部自分が行動して叶えてあげる事が
「自分のやりたい事をやる」
という本当の意味なんですよね
ほんの些細な事の方が遥かに多くて
確実にスルーし続けてきた事ばかりなんです
自分が
自分のためだけに
自分の全てを使ってお世話をする
自分の全てを使っておもてなしをする
自分の全てを使って癒す
コレなんですよね
これからは女性性の時代
特に女性の皆さまは
コレに集中しなくてはいけません
楽しい事や刺激的な事を追い過ぎていると
どんなにマッサージとかしたって
ご自愛にはなりません
集中し過ぎていると
目に見えるものにだけ執着する事になります
自分の心の細微な反応を見落とさないためにも
意識を外に向け過ぎないように
自分の中に集約することが必要です
そうして少しずつ
自分のやりたい事を叶えていくうちに
自分の人生の目的が見えて来ます
思ってたのと違ってたりしますよ
誰かに刷り込まれた誰かの目的を
自分のものと勘違いしていたりとかね
大切な事は目には見えないから
余裕をもたせながら
俯瞰で世界を見ましょう
そして
自分のやりたい事をやりましょう
本当の悟りは
騒がしさの中には存在せず
いつだって静寂の中で
深くクリアに
自分の中に在るのです、