どうせ働くのなら人の為になる働きをしたい。
今も昔も、
漠然とハッキリと思っている事です。
しかしOLをしていた時、
当時の上司との雑談の中でこのような事を言われました。
「あのな、「人」の「為」と書いて「偽り(いつわり」って読むねん。人の為にやってる事っていうのは、本当は人の為じゃなくて自分の為なんや。偽善なんや。」
確かにそうだけど、偽善とは言い過ぎではないか…。
人の血が流れてるのか?
冷徹過ぎないか?
そんな風に思ったのを覚えています。
だけど今ならとても良くわかります。
人の為とは偽善であり、
全ては自分の為の行動です。
この世で自分が愛せるのはたった1人。
自分しかありません。
自分がより良く暮らす為に善を行い、
自分が嬉しい気持ちになる為に善を行い、
自分が幸せになる為に善を行うのです。
全て自分の為なのです。
自分の為に、
お人に喜んでもらい、
幸せになってもらい、
助けを出すわけです。
自分への善の分かち合いとも言えましょう。
人は、
自分の中の愛を満たし、
そこから溢れた愛をお裾分けする形で、
ようやく善行を働く事が叶います。
自分を満たす、
自分を愛する事が絶対条件なのです。
人様へ施せる時、
自分を満たすが果たせているという事なのです。
その感謝が人への優しさへのエネルギーに変わるんですね。
だから、
全ては自分の為の行動。
貴方にこうさせていただける事に感謝いたします。
それが「人の為」の本質なのだと思っています。
いやいや、
どう見ても自分が満たされていないのに、
良い人ぶってる人もいるよ?
物事は多面体なので、
必ずしも「こちら側」からアプローチしなくてはならない決まりはありません。
行動から心にアプローチをかける事だって有りです。
「良い人ぶっている」
のかどうかを本人が気付く為には、
その行為を自身で経験しておかなくては、
この先、何を基にそれを判断し理解すれば良いのかわからなくなります。
例え偽善であっても、
その人にとっては必要な善なのです。
やらない善より、やる偽善。
とは、良く言ったものです。
何事も全て自分の為になります。
良しも悪しも。
人の為なんて事はないのです。
全て自分の為なのです。
「させていただき、ありがとうございます。」
そんな謙虚な気持ちを心掛けていたいですね。