これからは「心の時代」と言われておりますが、
それってどんな時代なの?と考えてみました。
それはきっと、
自分自身の心の土台をしっかりと据えなさい、
という意味ではないかと思います。
自分軸をしっかりと立てなさい、と。
これまで、
自分の人生を生きているようでいて、
実は他人の人生を歩んでいた私たち。
いつも人の事を気にして、
どう思われるかを気に病み、
関係が途切れる事に恐れを抱き、
言うべき事も言わずにいたり、
好まぬものを取り入れたり、
無理に笑い、
深く考えず嫌い、
好きと言う名目で執着し、
自分自身を疎かにする事を習慣として来ました。
或いは、
相手の状況を鑑みず、
自分が思った正義にのみ法って、
人への信頼を一切持たず、
誰の心も寄せ付けずにたった1人貫いて進もうと、
孤軍奮闘を決め込んでは、
周りへの不満を漏らすことも習慣として来ました。
そして、
寂しさを紛らしたり、注目を集めるために、
自分以外の人から優しさを与えてもらい、
情をかけてもらい、注目してもらい、
心の隙間を埋める為に多大なる時間を費やして来ました。
いずれの場合も、
自分を信頼せず大切にせず、
とことんにまで疎かにする振る舞いです。
利己的言動から来る結果への原因を、
自分は悪くないんだとばかりに、
他人になすりつける他人軸な考え方です。
自分で自分を認めず、
他人に穴埋めをしてもらう依存的な考え方です。
「心の時代」には、
そうじゃないよ、
それでは全てが分離してしまうでしょ?
これからは融合していくんだよ。
孤独から解放していくんだよ。
そう教えてくれる出来事が多くあるように思います。
相手がどうあろうとも「自分」はどうなの?
素直じゃない、聞く耳を持たない、
相手がそんな状況であったとして、
あなたは「怒り」を選択するの?
心を焼き尽くすの?
相手がどうあろうとも自分は自分で居ても良いんだよ。
怒りに心を明渡さなくて良いんだよ。
相手と同じように心を閉ざさなくて良いんだよ。
ただその状況を認めて、
手段、方法、相手を変えれば良いんだよ。
本当に大切な事、
真なる事を選べば良いんだよ。
これは正義とは別物だよ。
好きや嫌い、憎い、許せない、
そういった気持ちから自分を解放するんだよ。
自分は間違っていないと決め付けず、
相手の状況をしっかりと観るんだよ。
自分の事なのに、
なぜ自分が自分を認めてあげないの?
誰かがこちらを見なくても、
自分がしっかり観れば良いんだよ。
誰が何と言おうとも、
自分の素晴らしさに誇りを持って良いんだよ。
そんな事を知らしめる機会が多くあるでしょう。
真なる自分、揺るがない自分である事で、
周りが大きく変わってきます。
素直に、真摯に、謙虚に。
そのようあれば、
訪れる出来事が、
取り巻く環境が変わってきます。
揺るがないとは、
柔軟性がない事ではありません。
誰の責任にもせず、
自分の人生に責任を持って、
自分の全てを認め、愛し、
自分の意志で生きている事に絶対の自信を持つ事です。
それが養われて初めて、
様々な技術が素晴らしい成果を出し、
他の多くの方々への貢献を可能にします。
自分軸とは自己肯定感でもありますので、
見返りがなくとも、
自分がやりたいからやった、
という信頼が満足させてくれます。
とは言え相手も尊重しますので、
余計なお節介はしなくなります。
それぞれを認め合う事となり、
分離から融合へと道が拓けて行きます。
だから、
一番最初の一歩として必要な事が、
心の土台をしっかりと据える事。
今まで本気でやろうとしなかった事でしょう。
それを「やる」のです。
それが、
「心の時代」
なのです。
今までと世界を変えるのですよ。
私たちは。
次の世界へと進むのですよ。
私たちは。