よくよく見渡すと、
世の中には違和感が溢れているなぁと感じます。
特に感じるのが、
恋愛、アイドル、結婚など、
男女を象徴する事柄です。
ドラマや漫画、
最近だと、
カフェでたまたま座った隣の人の会話、
婚活、結婚相談所の広告、
色んなところで目にします。
内容は実に不自然、
だと感じませんか?
なぜ、
相手を愛するのに苦しまなくてはならないのでしょう。
なぜ、
結婚するために頑張らなくてはならないのでしょう。
なぜ、
嫉妬をしなくてはならないのでしょう。
なぜ、
相手の幸せを喜べないのでしょう。
なぜ、
自分を疎かにしてまで相手に関与したがるのでしょう。
なぜ、
そんなに沢山のお金を注ぎ込まなくてはならないのでしょう。
なぜ、
100%の喜びや祝福で心が満たされていないのでしょう。
不思議です。
私は昔から恋愛に興味がなく、
恋人なんて出来るのかなぁ?
結婚なんてするのかなぁ?
全く想像出来ないわ。
と思いながら過ごしていました。
と言いつつ、
奇跡的に人並みに恋愛をし、
結婚も一度経験しています。
(当時の自分を思うと本当に奇跡だと思います。)
そしてしばしの時を経て、
自分の行動への違和感というか、
なぜそんなだったのかな?という疑問が湧きます。
恋愛というよりも、
自分自身へ試練を与えていた、
という捉え方をした方が自然に感じるのです。
苦しみや問題の壁を越えた時に人は成長します。
それを体感する為の行為であって、
恋愛ではなかった。
恋愛や結婚という仕組みを利用した。
そんな感じです。
本来なら、
愛し合う2人が一緒になる事が自然でしょう。
愛はこの世で絶対のもの、
宇宙の法ですから、
本来なら歪む事はなく、
苦しみや怒りや嫉妬などは生まれず、
どんどん満たされていくものだと思うのです。
しかし、
そうならないように、
世の中には様々な刺激ある情報があって、
それに感化されてしまって、
ドラマティック(ドメスティックですが)な
恋物語に走りやすい傾向が確立されてるのではないかな?
なんて思ったりします。
かなり穿った見方ですけどね。
こんな言葉を目にしたのです。
恋愛のドキドキやワクワクは、
波動が下がる時に起こる。
絶叫マシンに乗る時に、
恐怖やスリルでドキドキ、ワクワクするが、
それと同じ。
それを体験した後に元の生活の場に戻ると、
いつもと変わらない。
むしろ、あのドキドキは何だったのかな?と感じる。
一過性のもので消えていくため、
冷めた時に不具合が起こる。
愛に感じるドキドキやワクワクは、
波動が上がる時に起こる。
喜びや祝福のエネルギーに溢れ、
どこにいようともその消えることはなく、
いつまでも満たされている。
真逆の感覚。
とっても納得しました。
なぜ、
恋愛をするのに苦しまなくてはならないのでしょう、
と書きましたが、
波動が下がるんですから当然ですよね。
本来望む方向を逆行するのですから、
苦しいはずです。
もちろん、
敢えてその状況を望んで生まれて来ている人もいるので、
それが悪いとは思いませんが、
私はそれを望んでいないんだなと、
それが違和感となって現れているんだろうなぁと、
改めて思ったのです。
確かに、
恋愛をしていた時には、
自分の中に複数の感情のレイヤーがあったように思います。
敢えて見ないように下に押しやったレイヤーに、
私の本心が隠れていたんだろうなぁと、
今だからわかります。
もちろん、
良い経験でしたし必要な経験でした。
その経験があったからこそ、
私から不要な鎧が幾層も剥がされました。
ただ今は、
もう波動を下げる経験を望んでおらず、
どのような場面に於いても、
自分の本心が揺るがぬように、
内面的な強さを養う、
自分軸を立てる、
自分を愛する事に集中する必要があるんだと、
強く思います。
寂しさから逃れる為に誰かにすがるような、
虚しさを紛らす為に誰かで穴埋めするような、
安易な行動はしません。
愛によって結ばれる関係、
それが一番の望みです。
相手は自分の鏡ですから、
自分が常に、
愛で満たされた状態でいる事で、
同じような相手を目の前に映す事が叶います。
世の中の違和感に気付いて、
自分の在り方を省みる。
やるべき事を見誤らないよう、
自分の為に誠心誠意尽くしたいなぁと、
改めて感じました。
台風の影響で、
雨風吹き荒れる天気。
頭の中も整理整頓されていきますね。