子どもの眼に映る世界は
それはそれは平和で美しく
何の疑いもなく安全で守られており
自分が望む事全てが叶う
光り輝く素晴らしい世界なのでしょう
だからこそ
左右を確認せずに急に道路に飛び出しますし
刃先を考えずにハサミやカッターなどを使いますし
硬いオモチャを人に向かって投げますし
そりゃ落ちるよという場所に立ちたがりますし
電車の戸袋に巻き込まれますし
大きなものの下で指を詰めますし
やれると思って高い所から飛び降りますし
重さも考えずアンバランスに物を積み上げますし
汚れるとも思わず壁に絵を描きますし
本気で世界を救う為に目に見えぬ悪と闘いますし
地球での生活経験の長い大人から見れば
ハラハラドキドキな事を平気でやってのける
それが
平和な光の世界に生きている子ども達
なのだと思います
危険な事など起こるはずがない世界なのだと
そんな子どもたちに対して大人は
「危険を知らない未熟な人」
として躾ようとしますが
果たして未熟なのはどちらだろうかと思うのです
本来ならこの世界は
光り輝く平和で美しい世界であり
私が私のままで生きてこそ
自分も周りも幸せになる世界のはずなのですが
物質世界であるこの世の中独自の
安全に生きるためのルールがあり
それに従うには
自分の枠を縮めるより仕方ない
それが当たり前になっているのです
躾とはつまり
この世界でのルールを教えてあげる事であり
子どもたちが未熟だから成熟させる為のもの
ではないのです
敢えて自分を落とさなくてはいけない
波動を下げなくてはいけないのが
この世界です
そう考えると
子どもたちは未熟なのではなく
かなり波動の高い存在であり
この波動の低い世界に
自分たちを合わせくれている訳ですから
むしろ成熟した魂であるとも言えます
私たちは
子どもたちの自由さから
世界の本来の美しさを想い出し
地球での生活経験から
現在の世界でのルールを掴み
それらの調和を図る役割があるのではないでしょうか
それが大人のお役割なのではないでしょうか
むやみに叱るのではなく
彼らは私たちが忘れている事を
身をもって示してくれていると理解しながら
この世界でのルールを
愛で以って共有していけたら素敵ですよね
キレイゴトでは事はならんかもしれませんが
中にはキレイゴトに思えるような綺麗な事もあるのだと
私は思います