以前にこんな事を書きました。
食べたくなるのは、
もっと欲しいもっとくれ、
そんな欠乏感から自分を満たす為、
自分の中に溜め込みたいから。
原因は自分の中ではなく外にある事にしたいという現れだ、
過食も拒食も、
「自分への愛が足りていない」事が原因だよ、
というような内容です。
自分への愛が足りていないって、
結局どういう事?の具体的な一例を挙げてみようと思います。
もちろん、
私の経験に基づく考察です。
自分への愛って、
思ったほど大袈裟なものではありません。
むしろ、凄く些細で見落としがちな、
問題とも取れないような事が、
知らず知らずに積み重なって欠乏感を満たしていたりします。
例えば…、
このバッグ、あの棚に戻さないと…。
…明日にしよう。
あ、ティッシュ無くなっちゃった。
取りに行くの面倒くさいなぁ。
わぁこれ美味しそう。
作ってみようかなぁ。
やっぱ辞めた。
洗濯しないといけないんだけどなぁ。
洗濯物、片付けなきゃ。
あの棚、物が多すぎるなぁ。
机の上に物積み過ぎ。
わぁ埃被ってる。
掃除しないとヤバい。
公園の猫ちゃんに会いに行こうかな。
…でも寒いから辞めた。
お風呂入らないと…でも眠い…でも入らないと…でも眠い…Zzz。
こんなような事です。
日常の中で起こりえるような、ほんの些細な事です。
バッグはすぐに棚に戻し、
ティッシュもすぐに新しいのを用意し、
作りたくなったら作り、
洗濯し、
洗濯物を片付け、
棚も机の上も整理し、
埃も拭いて掃除して、
猫ちゃんに会いに行って、
お風呂入って寝る。
最初に浮かんだ事を全部、
自分の為に実行してあげる。
これがご自愛、
自分への愛を満たす行為です。
何もオシャレなレストランへ行かなくても、
豪華な装飾品やお洋服を購入しなくても、
友達と盛り上がる時間を増やさなくても、
スケジュールを詰め込まなくてもいいのです。
ごくごく日常的な生活の営みの中で、
こうしたいと思った最初の想いを満たしてあげるだけで良いのです。
なので、言い換えれば、
それらの行為をしなければ、
自分の中に「欠乏感」が生まれるという事。
欠乏感が生まれたら、
食欲で満たそうとします。
(自己否定タイプは食が更に細くなる)
つまりは、
「普段の生活の乱れ」の現れでもあると言えます。
問題とも思わず、
仕方ないよね面倒だし、とか、
眠たいもん、睡眠大事だから、とか、
何かと理由を付けて正当化していたりします。
全てとまでは言いませんが、
それはエゴによる抵抗に過ぎません。
優先順位を撹乱させられているだけなのです。
食欲におかしな変化が現れた時、
一度、普段の生活を振り返ってみると良いかもしれません。
乱れていないかどうか、
やり過ごしている些細な事がないかどうか。
何故こんな事を書いているかというと、
正に体験している(いた)からです。
ちょっと後回しにしたいくつかの些細な事。
それらが知らぬ間に私にストレスを与え、
食欲が爆発しています。
しかもジャンキーな物を欲しています。
食べると気持ち悪くなるんですよ。
本当は欲してないんです。身体は。
だけど食べたくなるんです。
ふと、
そう言えばやりたいと思ってたのにやらなかった事があったなと思い、
それらを全部やりました。
具体的には、
お昼にパスタを作る事、
お部屋にポットに入れたお茶を持って行ってゆっくり飲む事、
猫ちゃんに会いに行く事、
吊るしていたコートを仕舞う事です。
些細な事です。
生活の一部です。
だけど、
自分が行動を起こすという事は自分にしか出来ませんから、
これらをやらないというのは、
自分へ愛を注がないのと同意なのですよね。
普段の生活がいかに大切か、
改めて感じる事が出来ました。
揺すり揺らされ、
わかっていると思っている事も、
少しずつ 少しずつ段階的に深さを増して、
自分の中に融合して行くんですね。
食欲は一つのバロメーター。
今の自分の食欲はいかがでしょうか。
生活はいかがでしょうか。
自分への愛はいかがでしょうか。
ご自愛、大切にしましょう。