大豆がキレイに白くなりました
麹菌が順調に発酵してくれているようです
ここまでは温度管理が大変でしたが
ここから発酵が進むと
熱を発するようになるので
ホットカーペットはオフにして
タオルとブランケットのみで保温します
ウグイス色の胞子が一面に付くのを待つばかり
醤油麹完成まで
後もう一息です
今のところ順調で安心しました
塩を炒って水分を飛ばし
陽性のエネルギーに高めてから
すり鉢でパウダー状になるまで摩り下ろします
小麦をカリカリになるまで乾煎りして
ミキサーなどで粉末にします
指で押すと潰れるくらいまで柔らかくなるよう
4時間蒸した黄大豆
その他にも
麹菌を用意して
これらを分量通りに混ぜ合わせて
醤油麹を作るところからの醤油作り…
かなり大変な作業でした
ネットでは
ここまで準備されたものが
醤油作りセットとして販売もされてるそうです
しかし
西方ホウさんが教える醤油作りは
麹菌を育てるところからやるのです
先の作業はあくまでも下準備
ここから数日は
温度管理が重要
一定の温度に保たなくてはなりません
それによって
麹菌が醤油麹に成長するかどうかが決まります
ドキドキします
醤油麹が出来た後も
管理温度を下げたり
塩水を入れたり
色々混ぜたり何だかんだと
やる事沢山
美味しくいただけるまでには
1〜2年ほどかかります
ここまで手間暇かけて作る醤油
大切にしなくてはと思います
今は手軽に購入出来るから
その有り難みを軽く感じていたなぁと
作業してみて改めてかんじました
食べ物への感謝
醤油に限らず
全てのものに対しても
希薄になっていたように思います
そんな事を思わせる
尊い作業でした
ここからの管理が上手く出来るかどうか
多少の心配はありますが
キレイに麹菌の華が咲くよう
大切に見守りたいと思います
自分で作ったお醤油で
きんぴらごぼうを作るのが楽しみです
2年後ですけれどね
私たちは光の存在
神の子
愛そのもの
全ての豊かさを享受し
喜びに満ちた日々を送る事が出来る
奪い合う事なく
共に分かち合い
愛に於いて
愛に基づいて生きる
そんな世界に変えて行く力があり
それを望んでこの世に生まれて来た
ただ
日々の生活を丁寧に送る事で
ただ
地に足をつけて生きる事で
ただ
今すべき事を真摯にこなす事で
しかしながら
頭ではわかっていても
心に浸透せず
行動にも移せない
そんな人が溢れているのが
今の世の中
美しい言葉を受け止める受け皿が
これまでに背負って来た様々なフィルターによって
浸透させてくれないのかもしれない
その前にすべき事は
そのフィルターを取り除く事
必要なフィルターなら
目詰まりをキレイに掃除する事
その進捗具合は
周りが教えてくれるだろう
目に見えるものは自分の鏡だから
周りに対して不満を言う人は
自分自身への不満が溢れている
周りを疑う人は
自分自身を疑っている
嫌味を言う人は
自分自身を嫌悪している
完璧主義な人は
自分自身を赦していない
物欲が強い人は
自分自身に欠陥があると思っている
外にばかり目を向ける人は
自分自身に自信がない
その心は
これまでの環境や習慣で養われている
これまでに口にした食べ物も影響している
無意識に口にした添加物
服用した薬
自然界には無い飲み物
全ての環境で養って来た
そんな一つ一つとしっかりと向き合って
クリアにしなければ
先の言葉は浸透しない
なかなか忍耐力のいる事だ
しかし
そういう状況なのだという事は
社会を見ているとわかる
ほんの少しでもクリアにする事で
徐々に浸透していくのだけれど
それをやるという勇気がなかなか持てない
道を逸れるような気がして
周りから見放されるような気がして
それらは全て幻想だと
不安も全て幻想だと
自分が創り出した幻想なのだと
強く言いたい
美しい言葉だけでは浸透しない今
自分への信頼を強く待つ事
持てるようになる事
自分を愛する事が最優先事項
美しい言葉だけでは浸透しない
けれど
魂は
その言葉をしっかりと掴んで
離しはしない
元々は
魂が放った言葉
魂の本心
私たちの本心なのだから
離れるなどあり得ない
少し忍耐をしよう
やると決めれば
必ず理解してくれる人が現れる
見放されたりしない
独りになどなりはしない
美しい言葉は
自分がこの世に放ったもの
もっとこうありたい
あれがあれば幸せなのに
こういう生活がしたいけどここでは無理
様々な理想が
今の不満を際立たせてしまうけれど
今の状況
今の環境に感謝出来ないのであれば
幸せを見出せないないのであれば
どんな状況が訪れようとも
どんな環境に身を置こうとも
決して満たされる事はないだろう
何故なら
「不満を見つける事」
が習慣となってしまっているからだ
環境が変わっても
すぐに不満を見つけるだろう、
状況が変わっても
すぐに不満を見つけるだろう
そうするとやはり
自分は満たされていないと感じ
永遠のループに陥る事になる
今目の前にある些細な喜び
小さな幸せに気付けないのならば
これから先も変わらず
気付けないままに過ぎて行くだろう
目の前にある華やかさにほだされては
大切な事は見えなくなってしまう
そうすると
満たされていないという欠乏感が膨らみ
外へ外へと意識が向く
もっと手に入れたい
もっと欲しい
もっと もっと
みるみる理想像が出来上がって
そうでなければならないという
自分への制限を作り出す
その枠に収まろうとしてしまう
こうあらねばならないと考える時
感謝は失われやすい
頭で考えて生きるのではなく
感じる事を忘れてはならない
大切なのは
心を豊かにする事だ
全ては想いが先にあり
後から顕現される
大切な事は目には見えないんだ
何もなくとも生きている事
生きている環境
周りの人
自分自身
全て有難い事だ
今ここに命があるのは
当たり前な事ではなく
唯一の奇跡だ
自分とは
何かを手にしていなければ価値がないような
そんなちっぽけなものではない
ほんの些細な喜びを見つけて
心が温かくなるのを感じたなら
今を少し変えられる
感謝が湧いて
この先を少し変えられる
繰り返せば更に
大きく変えていけるだろう
次へのシフトを考える時には
必ず確認しておきたい
今 感謝出来ているかどうかと
いつも
いつでも
私たちの目の前には
様々なメッセージや
新たな気付き
解決の糸口
次への扉などが用意されているのに
往々にして機会を逃してしまう
それが
ただ気付いていないから
なのであれば
今後は気付けるようにと
自己研鑽を積めば良いのだけれど
気付いているのだとしたらどうだろう
気付いているのに機会を逃してしまうのであれば
それはどうなのだろうか
そこには
越えるべきものが立ちはだかっていて
それを越えない限りはいつまででも
気付かなフリで機会を逃し続ける事になるだろう
その「越えるべきもの」とは
一体何なのだろう
それはきっと
「恐れ」
ではないだろうか
そこに踏み入れた後に起こる事への恐怖
未知の世界への恐怖
エゴの消滅を恐れた抵抗
そういったものが壁となって現れる
それこそが
越えるべきものだと思う
これは
他人が踏み込めない領域の話
自分が
自分の中で行う精神のワークの一つ
自分が越えなければ
自分を動かせない
恐怖の向こう側にある
自分への信頼
安心
幸福
満足を手にする怖さ
自分への過小評価
自己否定
越えるべきもの
越えられないもの
恐怖も喜びも全て
自分の中にあるもの
自分の中にしかないもの
つまり
越えるべきもの
越えられないものとは
今の自分だ
その想いが歪んだエネルギーとなって
周りの方に振り撒く事のないように
いつだって自分を観ておく事
自分に気付いている事だ
よく観るんだ
よくよく観るんだ
先日
動物愛護に関するお話を聞く機会がありました
2017年度の犬猫殺処分の数は
合計で43,227頭
その内訳は
犬 8,362頭
猫 34,865頭
4年前の殺処分の数は128,241頭で
その頃から比べれば3分の1にまで減っています
◆参考◆
昭和50年頃にまで遡ると
約120万頭もの殺処分がなされていたようで
相当な削減がなされているのがわかります
とは言え
まだまだ43,000頭もの殺処分がなされている現在
しかも
犬より猫の方が4倍も多いという現実
猫好きとしては胸が痛いです
譲渡に関しては
昔は猫を譲渡してはいけない
というのがあったらしく
表からもわかる通り
昭和50年頃は猫の譲渡は0に近い状態
ここ10年でようやく譲渡数が
犬とトントンになって来たようです
かれこれもう16年程前
まだテレビを見ていた頃の話ですが
NHKか何かで
殺処分の現場を映したドキュメンタリー番組を観ました
今でこそ一部の保健所では
安楽死をさせるようになったそうですが
当時は毒ガスによって行われていました
鉄製の温もりのない箱の中に
数十頭の仔犬が押し込められ
恐怖に怯えてキュンキュンと鳴く声が
部屋いっぱいに響きます
係の方が毒ガスが噴射されるスイッチを押すと
数分としない内に鳴き声が弱々しくなり
やがて
聞こえなくなります
胸を締め付けられ
抉られるような苦しみをかんじ
私は思わず
目を逸らしてしまいました
そして何より
毒ガスの箱の前に座り込み
うなだれながら
「ごめんよ…ごめんよ…
もう少しで楽になるからな…」
と
その時間を耐える職員の姿に
胸が痛くなりました
猫好きや犬好きな方は
絶対に保健所に勤めない方が良い
とは
実際に保健所に勤めている方の言葉です
殺処分は
人の心もズタズタに傷付けてしまうもの
そんな風にかんじました
最近は都会ではあまり
野良犬を見かけなくなりましたね
法律でも犬を飼う時には
登録する事が義務付けされているようで
それもあって
野放しが少なくなっているのかもしれません
しかしながら
野良猫はまだまだ沢山見かけます
全国にどれだけの猫がいるのか
全く把握出来ていないんだそうです
大凡の数は掴んでいたとしても
猫の繁殖能力はかなり高いですから
正確な数字を導き出すのは困難でしょう
猫は
半年もすれば繁殖能力が備わるそうです
一回の出産で平均して5頭くらい産まれますから
物理的には
毎年10頭増やす事も可能なのです
そんなペースで増えると
折角減って来た殺処分が
また増えてしまうという事になりかねない…
不要な殺生をこれ以上増やさないようにと
今はTNRといって
Trap(トラップ)…捕獲
Neuter(ニューター)…避妊手術
Return(リターン)…元の場所に返す
と言った取り組みが盛んになされています
猫を保護する方が増えれば良いのですが
そう簡単にはいかないもので
保護施設にも限界があり
どこもパンク状態であるので
保護して避妊手術をした後
元いた場所に返すのだそうです
その時に
TNRした子だと一目でわかるように
耳をカットするんですね
「サクラ耳」
と呼ばれています
私のお友達の野良猫ちゃんもサクラ耳です
間違えて再度お腹を開かれないように
猫を守るための目印です
この方法が
決して良い方法であるとは思いません
どうしても
猫にも人にも苦しみは残りますから
かといって良い方法が見つからず…
いつか保護猫を迎え幸せに過ごしてもらいたい
そんな事を考える毎日です
そんな話を聞いた夜
久々にテレビを見ておりました
人里離れたところで酪農を営む方のところへ行き
生活風景を撮影していました
牛にストレスがかからぬように
放牧させる広い土地があって
柔らかく清潔な寝床を毎日設え
食事も美味しく食べてもらえるよう
様々な工夫がなされています
その方は一日中
盆も正月もずっと
牛のことばかり考えているそうです
牛が可愛くて仕方ないのだとか
そんなVTRを観ながら
スタジオのキャストが
「安心して過ごせるんですね」
「ストレスなく伸び伸びしていて良いですね!」
「こんなに元気に走り回るんだ!」
「可愛いですね!瞳がキラキラしてる!」
そんなコメントをしていました
しかし
続く言葉に耳を疑いました
「こんな風に育てられた肉は美味いんだろうね」
「食べてみたいですね」
血の気が引く想いがしました
私もまだまだ未熟です
可愛いと言いつつ食べたいという
この矛盾は
いつか大きな歪みとなるのだろうな…
そんな風にかんじてしまいました
本当にキレイな瞳でした
命が溢れていました
動物愛護は
犬猫だけの問題ではないと
改めて感じさせられる一日でした
自分に出来ることは何だろう
こういった知識を得て
周りの方に教えてあげる事も愛護活動の一つだと
冒頭の話をしてくださった方が仰ってました
お肉を食べる回数や量を
徐々に減らすのも同じでしょう
少しずつ少しずつ
自分に出来る事を実践していきたいですね
世界の生きとし生けるもの全てが
幸せな世の中となりますように