日常に溢れるメッセージ

日常に溢れる様々なメッセージを綴ります

完璧である事と赦し

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猫はいるかな?

サバシロちゃんが隠れていますよ。

 

 

正義感とは

正しさの象徴のように見えて

実は

真実を曇らせるエゴであると思います

 

何故なら

 

自分は正しく

相手は間違っているとのジャッジを

自分基準で下すのですから

 

正義は

自分の中でのみ有効な正しさであり

人それぞれに違いますから

他の方には通用しなくて当然なのです

 

 

物事に於いて

こうしなければならないという事はありません

しかしながら

仕事などの場合

「こうした方が良い」

という事は起こり得ます

 

その判断が求められる時に

私たちは「正義」という名のエゴを発動しがちです

 

特に

仕事にも慣れ

ある程度の功績も出来てきた頃

自分の中のやりやすさというルールに則って

「こうせねばならない」

という正義をふりかざします

 

自分は良く知っている

完璧に仕事をこなす

 

そんな隠れた想い

エゴが

自分を支配します

 

 

これに気付いているかどうかは

心の康らかさに大きく影響します

 

 

自分は完璧だと思っていると

誰かの間違いや不備を許せません

それに対して怒りさえ覚えるほどに許せないのです

 

そして

自分がミスを指摘された時には

そんなはずは無いと

また怒りを感じたりします

 

 

確かにそんなはずは無い場合もありますが

その通りだった時

更に怒りが沸き立ってしまいます

 

何故なら

そんな自分を許せないから

赦していないから

 

 

だけれども気付いていないでしょう

自分が自分を赦していないなどとは

 

 

 

私の経験からし

自分を赦せない人は正義を強く持っており

人にも完璧を求めます

もちろん

些細なミスも不備も赦せません

自分のみならず

周りの人や環境も含めて

完璧でなければならないと思っているのでしょうね

無意識のうちに

 

 

その意識から離れて初めてわかります

 

なんと息苦しい生き方だろうかと

 

 

これからの時代に求められるのは

その反対の生き方です

 

調和 赦し 助け合い 分かち合い

1つに還る事

 

 

自分が誰かを許せない時

正義をふりかざしている時

完璧を求めてしまう時

自分が間違えた時に酷く落ち込んでしまう時

 

そんな時は

 

自分を赦しているだろうか

間違えたとしても自分は自分と愛せているだろうか

 

そんな事を自問してみるタイミング

なのだと思います

 

 

自分を赦せた時

 

また1つ

自由を手にする事になります