36歳の私。
ある事に関心を持ち、やりたいなぁと思った。
今から始めたとして、あと4年で40歳。
40歳かぁ…。
ちょっと始めるのには遅かったかなぁ。
さすがに無いかなぁ。
と思って結局やらなかった。
それから4年の月日が流れ、
40歳を迎えた。
あの時、一つのボーダーラインとして、
リミットとして線引きした年齢に実際になった。
そういえばあの時、
アレをしたいと思っていたな。
あの時に始めていれば、
4年もの経験を得ている事になるのか。
4年も続けていたなら、
それなりの成果が出ていたかもしれない。
その経験が新たな扉を開け、
全く違う世界を体験していたかもしれない。
あの時、
出来たんじゃないのか?
あの頃と今と、
何が変わっているだろうか。
4年間、
やりたいと思ったそれをやらないまま、
やれないまま、
何の成長もなく過ごしてしまっていたのではないか。
あの時、
何故始めなかったのだろう。
始めるのが遅すぎるなんて事、
全然なかったのに。
迷わずにやれば良かった。
やれば良かったなぁ。
始める時には、
まだ来ぬ未来を懸念して、
その懸念していた未来になった時には、
過ぎた過去を後悔する。
年齢という制限は、
やらなくて良い理由、
やらない理由を確立する為のツールに過ぎない。
本来なら制限などないとわかっているのだけれど、
何かと理由を見つけては、
今の自分、やらない自分でいる事を維持したがる。
そんな風に、
エゴさんはいつも頑張っている。
エゴさんの働きの糧となるのは、
これをやったらどう思われるだろう、
出来なかったら恥ずかしい、
周りはみんな若いはず、
自分なんて浮いてしまうのではないか、
恥ずかしい、
失敗したくない、
怖い、
よく思われたい、
そんなネガティブな想いだ。
やりたい!
面白そう!
という単純なワクワクは、
そういったネガティブな想いに潰される。
本当はもっとパワフルなエネルギーなのだけれど、
エゴ優位だと、
簡単にねじ伏せられる。
そんな風に、
自分をネガティブなエネルギーで満たす事を、
常々自分に許可しているという事、
それを先ずは認識しなければならない。
不本意なはずだ。
ポジティブに、
豊かで光ある世界を望んでいるはずなのに、
自分に与えているのはネガティブなエネルギーだなんて。
だけど嫌悪する必要はない。
それを認識したならば、
今から行動すれば良い。
遅すぎるなんて事は一つも無いのだから。
些細な事から行動すればやりやすい。
あのお菓子が食べたい。
→食べよう。
あれが見たい。
→見よう。
あれなんだろう?
→覗いて見よう。
あそこに行きたい。
→行こう。仕事中でも行こう。
思ったら直ぐに。
小さな事からでいい。
遅すぎるなんて事はない。
やろう。
やってあげよう。
全ての恥じらいを手放して、
自分の為に。
本当の豊かさを味わおう。