先日、お久しぶりの方にお会いしました。
もう何年も前になりますが、
私はその方のお陰で、苦しさから救われた事があります。
長らくお会いする機会もなく、
時が過ぎて、当時の苦しみも殆ど消え、
すっかり記憶から消し去られる寸でのところで、
あの時の記憶が蘇りました。
一体どういう意味があったのかなぁ?
わからないまま、数日を過ごします。
そしてここ最近、
自分の過去をフラッシュバックさせられる機会が何度となくありました。
抑えていた感情を呼び戻されたり、
出来なかった事の後悔がある事を知ったり、
自分が他人様にしてきた仕打ちを突き付けられたり、
様々な感情が掘り起こされて、
それはそれは大変な状態。
なかなかにヘビーでした。
しかし、どの感情にも共通しているのが、
「自分の気持ちを抑えていた」
という事。
それによって起こした行動が、
その時の自分を苦しめていたという事が、
今になって良くわかります。
上手く事が運ばない、
環境が良くならない、
嫌な思いがなくならない、
どうしてこうなるのだろう。
そういった原因を常に外に追い求め、
助けてくれる存在をも外に追い求め、
何かにすがり、
何かに依存して、
自分という存在をどんどん薄く薄く、
自らの意志で、
自分の中から自分を消そうとしていた。
そんな過去の自分を今、
改めてかんじています。
先日お会いしたお久しぶりの方。
あの方に救われた時に私の心には、
「自分の中の戦争を終わらせなくては」
そんな言葉が響きました。
こればかりは今でもハッキリと覚えています。
今回のタイミングは、
再びそれを思い出させる為の出会いだったようにかんじます。
もう心の中では解消されたと思っていた自分への抑圧。
それが、今の自分に大きな影を落としているんだという事を見つめなさい、と。
その影に自分の意志で光をあて、
しっかりと自分に取り込んであげなさい、と。
自分の中で生まれた事を、
無きものにするのはやめなさい、と。
全てを愛し、
自分の中の陰陽を融合させ、
自分の中の戦争を終わらせなさい、と。
グルを持たず、
カリスマに仕立てず、
崇拝せず、
自分である事が何故大切なのか。
それは、
自分の中の戦争を見過ごしてしまうから。
神は偶像には宿らない。
それぞれの心の中にいます。
一人の人間として、
自分という神を信頼し、
陰陽を統合して、
自分自身がワンネスの存在になる事。
たった一人、
孤独に苛まれ逃げ出したくなるかもしれないけれど、
そうして自分自身からも逃げ出してしまうのが、
本当に自分への愛なのかどうかを確かめる時。
今って、そういう時なのではないでしょうか。
苛立ちも悲しみも、
嫉妬も妬みもやっかみも、
怒りも恐れも、
全て自分が産み出す自分の中の争い事。
相手は全く関係なく、
全て自分が産み出している戦争。
自分の中の戦争を終わらせましょう。
自分の中に平和をもたらしましょう。
そうして自分の中から愛の光を放ちましょう。