陰陽の話を書きました。
これはいわゆる価値観が書き換わる事を意味しますが、
陰または陽が極まり陰陽が転じる時、
すなわち、
天地が覆り価値観が書き換わる時と言うのは、
新たな価値観を優先する為に、
最初持っていた価値観を極端に嫌う傾向があります。
何故あんな事を思っていたのだろう?
今や考えられない。
アレを好むなんて、私には無理。
アレはこういう事だから、○○な状態なんだ。
こうする方が良いのに。
何故あんな事を言うんだろう。
何故あんな事をするんだろう。
その正義は一体何なの?
この傾向が良いか悪いかという話ではなく、
どうしてもこうなりがちなのです。
まだ扱い慣れていない価値観を、
自分に浸透させる為の行為でもあるのかもしれません。
この傾向により、
価値観の合わない人は去っていくでしょうし、
新たな繋がりも生まれるでしょう。
そうして世界が広がり、
学びも深まっていく事と思います。
しかし、この陰陽の反転、
価値観の書き換えを繰り返す内に気付く事があります。
前の価値観も一理あり、
今の価値観も一理あると。
つまり、
両極を理解する瞬間ですね。
何事もそうですが、
それだけが正しいという事はありません。
それぞれを知った上で、
中庸、中道を行く事が大切なのです。
なので、先の反応を利用するならば、
真逆の価値観に否定的な感情を抱いている時というのは、
心の中で中庸を探っている最中だと認識出来ます。
まだ途中なのだと。
自分は正しいと決め込まない事。
人が間違えていると決め込まない事。
逆も然りで、
自分は間違えていると決め込まない事。
人が正しいと決め込まない事。
まだ変化の過程で、
これから先に落ち着く時が来ると認める事。
そして、
また違う事を言っていたとしても、
認めてあげる事。
人は変わります。
「決め込まない」
という認識をデフォルトにして、
自分の変化も人の変化も認めてあげる為に、
価値観が書き換わる時には、
極端に反対の事を嫌いになる傾向がある事を認識し、
人にも自分にも柔軟に対応出来る心構えを先に備えておくと、
心の平穏を保ちやすくなりますね。
不要なエネルギーを使う必要がなくなりますので、
それもまたご自愛です。
私自身も、
自分の価値観が書き換わった時に、
そのまま受け止めてくださった方、
どんな私でも受け止めてくれた方が居て くださったお陰で、
救われた部分が多いにあります。
自分がされて救われただけに、
人様に対してもそう在りたいと思えるようになりました。
そう思えるまでの段階は面白いもので、
頭ではそう思っていても、
価値観の中庸に到達出来ていないと、
直面した時に直ぐに対応出来ませんね。
何事も、
繰り返し学び、
わかった上で実践という流れがお決まりです。
丁寧に真摯に、ですね。
究極な話、「全て正しい」のです。
対するものとのコントラストから学ぶ事を、
私たちはこの人生で楽しんでいるのですね。