その真実は、他の誰でもなく自分の中にある。
自分への嘘、
自分への不義理、
それらが仮に罪であったとしたならば、その罪を意識するしない関係なく背負い生きている事そのものが、既に自分への報いとなっている。
周りの者にはわからない、全く見る事の出来ない真綿が自身を覆い、少しずつ少しずつ締め付けてくる。
心に苦しみが体験として現れた頃には、充分に償いを果たしたとも言える。
だから周りの人たちは、その方を罰する事も責める事もする必要なんてない。
出来るはずもない。
充分に自分自身で罰しながら生きているのだから。
憐れみと慈しみと愛を以って、見守る事しか出来るはずもない。
解放してあげなくては。
その苦しみから自分自身を解放してあげなくては。
苦しみを抱えている事を知っているのは自分だけ。
その報いを受けている事を知っているのは自分だけ。
その苦しみから解放してあげられるのは、
世界でただ一人。
自分だけである。
その真実は、他の誰でもなく自分の中にある。