私もかつては、
元気で明るくてお笑い芸人のようにお喋りが面白くて子供のように無邪気で毒舌で怖くて頼りになって1人で生きていけそうな人、
みたいなキャラが定着されていた。
実際には、
お喋りは好きだけれど沈黙も好きで、
静かに大人しく居る方が好き。
活発というより物静か。
争い事は好まず平和が好き。
街中が苦手。
騒がし場所が苦手。
静かな落ち着く場所が好き。
女性らしくありたい。
男性に守られたい。
頼りたい。
出来ない事が結構多い。
猫のように生きたい。
そんなタイプだ。
なので、
自分らしく、在りたいようにいよう!と決め、
見た目や立ち振る舞いも、
自分が心地良いと思うもの、
自分が本来したかった事にシフトさせていったのたけど、
これまでの私を知っていた人はそんな私を見て、
「え〜?!どうしたの?!」
と皆が驚いた。
シフトしたての頃は、
前の「キャラ」のエネルギーが立ち込めていたので、
自分でも認識出来る程に全てが分離していたよ。
その違和感もあって一様に「何事?!」となったのだろうね。
良いね!と言ってくださる方もあったのだけど、
中には、
私を見下していたのだなぁとわかる方もあった。
(正確には、私の本質を見抜けなかった人)
前の方が良かった、らしくないと。
きっと、その位置関係の方が都合が良かったんだろうなぁと。
その時に気付く。
自分をこの位置に留めていたのは誰だ、と。
私だ、と。
私自身も、その位置関係である方が都合が良かったんだ。
自分が他の誰かより下である方が。
様々な価値観の鎧を纏う事で、
本当の自分を曝け出して傷付かなくて良いから。
怖くて怖くて仕方なかったから、
その状況もやむなしと決め込んでいたんだと。
無意識に格付けする視点を備えていたんだと。
絶対に変わろうと思った。
そして、
応援してくださる方の言葉だけを聴き、
それ以外の言葉が自分の耳に入らないようにした。
時が流れて今。
何故あの価値観に縛られていたのだろう。
何故あの立ち位置に自分を据える事を良しとしていたのだろう。
そんな事をたまに考える。
少し前はめちゃ考えていた(笑)
しかも否定的に考えていた。
今を得る為に必要な経験だったからなのだが、
あの時の価値観から抜け出ても何て事はない。
より私らしくあるように思うだけで、
心身共に軽く感じるだけで、
頭も軽く爽快だ。
ただ、
もうあの頃には戻りたくないと強く思う。
苦しすぎて絶対に無理だ。
よく生き抜いたな、私って。
時々ひょっこりと過去の価値観が顔を出す事もあるけれど、
決して否定する事なく「出てるな」と認めた上で、
それは私の心地良さには見合わないと思ったら手放すよう努めている。
一つ一つ気付いて手放す。
これを繰り返す事でしか解放には至らない。
最初はかなり辛く苦しいものだったけれど、
便秘と同じで、
一つ、一つと詰まりが抜けると要領を得る。
その辛さ、苦しみを抜けられるかどうか、
その頑張りが重要なんだ。
だから、
変えると意図したならば、
必ずメンターを見つけよう。
応援してくれる人を見つけよう。
愛の視点で見守ってくれる人を見つけよう。
たった1人でも良い。
その人の言葉や想いを糧にするんだ。
すると、
自然と不必要な人間関係も淘汰されていく。
どんどん軽くなる。
どんどん客観視出来るようになる。
必ず理解者はいるから。
必ず居るから。
すぐ側にいるから。
1人ぼっちになどなり得ないから。
先ずは自分を信頼して心の目で見つけるんだ。
そして恐れる事なく、
自分を解放してみよう。
ありのままの自然体の自分に還ろう。