日常に溢れるメッセージ

日常に溢れる様々なメッセージを綴ります

出雲大社 神在祭 神迎神事

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今年もまた

神在祭にお参りさせていただく事が叶いました

 

今年は2年ぶりに神迎神事にも参列

 

初めて参列した時にかんじた

自分の力の弱さや恐れ

そういったものが今は

どのようにかんじられるのか

知りたかったからです

 

 

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稲佐の浜へ向かうまでの道中

沢山の龍神様が誘ってくださいました

あれはきっと

龍神様だったのかもしれません

 

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今年は週末の土曜日ともあって

本当に沢山の方々が集まっていました

 

沢山の方々が集まっていても

神事が始まると

浜がシンと静かになるのですから

この厳かな神事は

何か感じさせるものがあるのでしょうね

 

様々な想いあれど

こうして神事に参集される事は

喜ばしいことですね

 

 

私個人としてもまた

こうして今年もこの地に来れた事を嬉しく

有り難くかんじました

 

 

神職の方が仰っていました

 

 

神在祭の間

出雲大社の御祭神であらせられる

大国主命さまとのご縁繋ぎの奉仕をさせていただき

大国主命さまも

願う私たちに相応しい

様々な御神縁を結んでくださいますが

ただそれだけではその恩恵を感じられはせず

自分自身がどうあるべきかと

人を想い

日頃の生活を正し

この世の為に生きていく事が大切で

それによって

その御神縁

恩恵を受け取る事が叶い

感じられるのだと思います

 

 

 

 

 

自分の行動でもって

その御神縁を実感に至らしめる

 

やはり全ては自分次第

という事ですね

 

 

古くから大切にされているのは

そういう事で

今だからこそ改めて

大切にせねばならないのだろうと感じます

 

神在祭に参加したからと言って

それが優と言う事はなく

それにより自分がどう在るのかと

正せる事に光りがあるのでしょう

 

 

そのきっかけは

日頃の生活の中にも沢山潜んでいて

生活を正す事によって

その気付きが得られます

 

 

改めて

自分を振り返り

よく観なくてはいけませんね

 

 

 

 

 

その他に巡った場所は

また改めて綴ろうかと思います

 

 

 

 

 

 

 

誰かと喜びを分かち合うための基本は

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1人だと淋しくて

誰かと一緒なら楽しいと思う

 

友達がいれば

パートナーがいれば

 

きっと楽しい

 

 

確かに楽しい

1人で味わう喜びよりも

2人で味わう喜びは

何倍もの喜びに変わる

 

 

事もある

 

 

だけど多くの場合

 

 

共に喜びを分かち合える人が出来たら出来たで

また徐々に

淋しさを募らせていく事になる

 

 

その人が居ない時

再び1人になった時の

孤独感が増す

なんて事はないだろうか

 

 

 

誰かと喜びを分かち合うための基本は

 

 

 

1人であっても幸せを感じている自分である事

 

 

 

1人でも幸せ

2人でも幸せ

複数人でも幸せ

 

再び1人でも

やっぱり幸せ

 

 

自分自身の幸せの土台が強くなければ

誰かと味わう喜びは

一瞬の起爆剤にしかならず

淋しさを加速させる事になってしまう

 

 

何故なら

 

「1人が淋しい」

という不安がベースになっているため

 

誰かと一緒である状況は

「不安の上に楽しいを上塗りしている」

という事を意味する

 

 

 

上塗りしたものは剥がれる

 

 

 

剥がれた後に残るのは

やはり「不安」だ

 

 

 

基が変わらなければ

何をやったって結局不安で

「誰かと一緒に過ごした楽しい時間」

という輝かしい瞬間を味わった分

余計に不安が重く感じるという

スパイラルに陥る

 

更にもっともっとと求めるけれど

基が「不安」ベースである限り

その淋しさは深まる一方だ

 

 

 

 

1人でも幸せを感じられる場合

既に「幸せ」がベースとなっているため

どんな状況でも更なる幸せを引き寄せる

 

その出来事が過ぎた後にも

1人であっても幸せなのだから

その前と後では

幸せの度合いがグンと上がる事は想像に易しい

 

 

 

そもそも論だ

根本の問題だ

 

 

 

淋しくてたまらないなら

1人でも幸せである自分にならなくてはならない

 

 

何故淋しいのか

 

 

それは

 

 

 

誰にも相手にされない

 

誰かに構ってもらえる価値が自分にはない

 

見放される

 

 

例えるならこんな価値観が

潜在的に潜んでいるからだ

 

これは言い換えるなら

 

 

 

自分にも相手にされない

 

自分にさえ構ってもらえる価値が自分にはない

 

自分から見放される

 

 

 

という事を

潜在的に感じているんだ

 

 

つまり

 

 

心はいつも

 

 

自分自身に無視されてしまう事に怯えているんだ

 

 

 

誰かと喜びを分かち合うための基本は

自分を大切にして

心から愛する事

 

存分に喜びで満たし

幸せに満ち溢れている事だ

 

 

自分を満たすとは

 

 

自分の為に

料理を作ってあげるとか

自分の為に

掃除をしてあげるとか

自分の為に

いつもよりゆっくりお風呂に入るとか

自分の為に

静かな空間 自分だけの空間を与えてあげるとか

自分の為に

自分の良さに気付いてあげるとか

自分の為に

優しい言葉をかけてあげるとか

自分の為に

人を喜ばせた「自分」を見せてあげるとか

自分の為に

ありがとうと言ってあげるとか

 

 

そんな言動を通して

自分自身を肯定し

自分自身に感謝して

自分の為に尽くしてあげる事が

自分を満たす事に繋がっていく

 

 

多くの人は

自分自身の良さを見誤り

見て見ないふりをしている

 

ちょっとやそっとでは

チラリと覗いただけでは

気付けない程に自分メガネは曇っているよ

 

良く観るんだよ

良く良く観るんだよ

 

いつも自分に気付いているんだよ

 

そうすれば

淋しさは自分の元から去り

喜びが押し寄せて来るようになる

 

 

自分にはその価値があると

心から信頼して

自分を満たし

段階を踏んで

 

真なる幸せを

 

誰かと共に

 

たった1人であっても

 

感じられる事で

 

世界はどんどん豊かになっていく

 

 

 

誰かと喜びを分かち合うための基本

 

 

自分が自分である事

 

 

 

ただそれだけだよ

 

 

 

 

人からの指摘に不快になるのは

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人から指摘される事を不快に思う人

嫌悪を感じる人がいる

 

 

なんであなたに言われないといけないの?

自分のことを棚に上げて!

 

と思っているならまだマシだけれど

それらの感情を感じる間もなく

怒りが急騰してしまう人は

自分の中と外の境界が

殆ど無い状態だから気を付けて欲しい

 

 

なぜ

人からの指摘を不快に感じるのか

 

 

それは正に

 

「図星」

 

だからだ

 

 

 

あなたに言われたくない

(と思っていたのに

指摘されるような言動をしていたって事じゃない)

 

あなたに言われたくない

(と思っていたのに

言われても良いオーラを放っていたって事でしょう)

 

あなたに言われたくない

(と思っていたのに

自分はその程度だって決めつけているって事じゃない)

 

あなたに言われたくない

(と思っていたのに

それを言われたらまた誰かと愚痴を言い合えるって利点を感じているんじゃない)

 

あなたに言われたくない

(と思っていたのに

結局はその状況は自分に都合が良いでしょう)

 

自分のことを棚に上げて

(そう正に

自分のことを棚に上げて相手のせいにして

そんな状況を正当化しようとしているんじゃない)

 

 

という

心からのメッセージだ

 

「図星」であることは

かなりのダメージを受ける

 

それを誤魔化すために

更なる怒りを利用して

いわゆる

「心のアドレナリン」みたいな効果を得ている

 

しかし

 

それが落ち着いた頃に

じわじわとそのダメージは浸透する

 

だから

それに気付かせる為に

何度も似た状況を引き寄せる事になる

 

 

 

感情を感じる間も無く怒りが急騰する場合

 

「誰よりも自分がわかっている!!」

 

という「自分への怒り」だったりするのだが

ほとんど場合はそれに気付かない

 

なんせ

自分の中と外の境界がわからないから

 

心は

些細な反応では気付けないと知っているから

急騰する怒りという

激しい刺激を以ってメッセージを送っているだけれど

多くはその怒りに飲み込まれ

支配されてしまっている

 

もちろん

気付いてはいない

 

 

 

自分をしっかりと観る

と意図していなければ

それはいつまで経っても

自分の中の事だとはわからないまま

 

いずれは

身体の不調や怪我などとなって表に現れ

休息の時間を与える事で

自分と向き合わせようとするだろう

 

そうなっても尚

自分の中の事とは思わず

自分の外に原因があると思い続けるのなら

その解決はただただ長引き

また違うカタチで

自分との向き合いの時間が与えられる事になる

 

 

 

素直に受け入れられると言うのは

とても軽やかで

次の展開を早く迎える事が出来

良い事尽くめだ

 

自分の中の事か外の事かを知っておく事は

その大きな一役となり

自分の世界が素晴らしく変化する事を

存分に楽しませてくれるだろう

 

 

「不快」

は取り除かなくても良い

しっかりと活用するんだ

 

来るもの拒まず

つまり

生まれた感情は排除せず

しっかりと向き合ってお別れするんだ

 

やがて

自分の生きる世界から

「不快」な事は無くなっていく

そんな出来事は起きなくなる

 

これは嘘ではない

本当だ

 

 

言われた内容そのままが当てはまるのではなく

言わせた事に対しての怒りであるかもしれない

 

様々なカモフラージュをかいくぐれるかどうか

 

それは

 

自分をしっかりと観ているかどうかで決まる

 

 

いつも自分に気付いていよう

 

よく観るんだよ

よくよく観るんだよ

 

 

 

 

思考に気をつけて

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会社で働く

パートタイムで働く

決められた拘束の中で働いていると

 

無意識にストレスを感じ

無意識に不満を抱くようになり

無意識のうちに

不満へ意識がフォーカスしてしまう

 

 

何でコレをしてくれないんだろう

もっとこうなら良いのに

イライラする

あの人がムカつく

 

 

その思考は

自分が置かれた環境を決める

 

今というのは

これまでの自分の思考が現実になったもの

 

それを変えたければ

その思考を変えなければならない

 

 

否定的な思考ではなく

肯定的な思考で

ワクワクして楽しくなるような

幸せになるような

感謝の気持ちが湧いてくるような

そんな思考を持つことが大事だ

 

 

思考に気をつけて

常に

自分がどう感じているのかに気付いていられるよう

自分を満たす事だけに集中するんだ

 

幸せな思考にだけ

大切なエネルギーを使うんだ

 

 

私たちは

幸せになる為に生まれて来た

 

だから

沢山の幸せを享受して良いんだよ

 

享受していこう

 

 

そう思える事もまた

幸せで嬉しい

 

 

 

 

 

教える事の忍耐

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教えてもらった立場として

思う事がある

 

 

 

散々言われていた事なのに

その時は全く実行する事が出来ず

 

実行する氣にもなれず

 

時だけが過ぎて行き

回り回ってある日突然

 

アレをしよう

 

と素直に実行出来るようになる

 

 

 

なんて事がままある

 

実行出来るようになるまでには

半年以上

一年以上かかったものもあるけれど

だからといって

叱られるなんて事はなく

そうなるまでずっと

見守られて来た実感がある

 

 

人には

その人だけのタイミングがあって

声を掛けたからといって

その時が完璧なタイミングであるとは限らず

 

その人に

聖なるタイミングが訪れるまで

口出しをせず

横槍を入れず

見守り 

祈るという忍耐が

教える側にはある

 

時に教える立場になる事もあり

その時にはそれで対応してはいるけれど

自分もそのように見守られている

という事に

これまで氣付けない事があったように思う

 

 

これをやってみようと思ったそれは

いつか誰かが教えてくれた事かもしれない

 

言われて瞬発的に反発し

受け容れなかった事かもしれない

 

その時の反発心が

お相手の方からの見守りに氣付けないように

フィルターをかけていたのかもしれない

 

 

 

教える事の忍耐は

それなりに大変な事だ

 

相手を大切に想うからこそのならば尚更

相手を信頼して時が満ちるのを共に待つのだから

 

それはそれは有難い事

 

日々

自分に氣付いていなければ

見落としてしまう学びのように思う

 

 

私たちはいつも

誰かの愛に支えられている

 

 

 

 

全ては自分次第

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痛みに耐える

心地良さを感じる

 

お人に苛立ちを感じる

お人に憐れみを感じる

 

お人を憎む

お人を愛する

 

無い物をねだる

有る物に感謝する

 

 

一つの出来事には

必ず陰陽の捉え方があって

どのように捉えるかは全て

自分の意思で決められる

 

自分の意志で決められる

 

 

それを決めるのは自身の言動で

無意識のうちに決めている事がほとんど

 

自分に関心を持たず

どのような言動を取っているかにも気づかないでいると

目の前の流れが理不尽で敵わないだろう

 

 

どのような言葉を選び

どのような行動を選び

どのような世界を望み

どのようなお人とのご縁を望むのか

 

自分の全てに気付いている事

些細な反応にも気付いている事

 

それによって

次の言葉を

次の行動を変えて

望み通りの世界を手に入れる

 

 

そのようにして

願いは叶えていくものなのだろう

 

 

つまりは

今の不満な環境でさえも

自分の願い通りである

という事だ

 

 

 

全ては自分次第

 

 

自分を疎かにせず

無下にせず

大切に大切に

常に気付いていたいものだ

 

 

 

大神神社へ

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思い立ったが吉日。

友人とのお話での流れから、

大神神社へとお参りに行ってまいりました。

 


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早朝。

大阪都心部とは逆方向へと進む電車は、

人も少なくて空気も穏やか。

 

駅のホームも静かで、

清々しさも一入でした。

 

 


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キラキラと輝く第2の鳥居。

緑も生き生きと美しく、

空氣が美味しいですね。

 

ご祈祷をお願いし、

三輪山にも登拝させていただきました。

 

今回は、

初めて裸足で登拝いたしました。

 

最初は足の裏が痛かったのですが、

徐々に慣れてくるのと、

段々と地面と足の裏との息が合うといいますか、

どこを歩くべきか、

どこに足を運ぶべきかがわかるようになる、

…ように思います。

 

踏み固められた硬い土の上、

水分を含んだもの柔らかい土の上、

落ち葉の重なった柔らかい草の上、

石がゴロゴロ落ちている凸凹道、

冷たいところ、温かいところ、

 

色んな感触が足の裏で感じられ、

その度に、

しっかりと支えてもらっているような、

守られているような感じを覚えます。

 

とても不思議な心地でした。

 

 

どう登るのか、

どう降るのか、

一歩一歩ゆっくり進み、

確かに地に踏み下ろし、

大地を掴むかのようにして、

慣れても傲る事なく、

氣を抜く事なく、

丁寧に丁寧に歩を進める。

 

人生と同じ、

大切な事が、

登拝の道中での教えにありました。

 

なんと有難い事でしょうか。

 

 

 

「心を大切にする」

 

ご祈祷をしていただいた後に、

神職の方よりお話いただいた中に、

このような言葉を頂戴いたしました。

 

これから、

私たちが本当に大切にしなければならない事、

それこそが心を大切にする事だと思います。

 

古より大切にされて来た事は、

時代の流れに伴って、

いつの間にか消えつつありましたけれど、

大切な事は必ず、

こうして再び巡って来ては、

私たちに語りかけてくれるのですね。

 

それに氣付ける自分でありたいものです。

 

久延彦さんにお参りしたら、

その横にある展望台からは、

冒頭のような綺麗な景色が広がって見えました。

 

 

 


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三輪と言ったらそうめん。

いつもここのお茶屋さんで、

山菜にゅうめんをいただきます。

 

一年が過ぎるのが早く感じるのは、

それだけ良い毎日を送られたからと言えるでしょうね。

 

そんな温かいお言葉を、

お茶屋さんの女将さんから頂戴しまして、

心も身体もホクホクとなりました。

 

いつも、

心を温かくしてくださる会話を、

こちらの女将さんはしてくださいます。

それがいつも嬉しいのです。

 

 

 


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おやつ代わりに結んだおむすび。

ひじきの混ぜご飯のおむすびです。

 

3つ結んで、

三輪へ到着する前に、

2つが胃の中に収まっておりました。

 

我ながら食いしん坊だなぁと、

楽しみながらのお参りでした。