1人だと淋しくて
誰かと一緒なら楽しいと思う
友達がいれば
パートナーがいれば
きっと楽しい
確かに楽しい
1人で味わう喜びよりも
2人で味わう喜びは
何倍もの喜びに変わる
事もある
だけど多くの場合
共に喜びを分かち合える人が出来たら出来たで
また徐々に
淋しさを募らせていく事になる
その人が居ない時
再び1人になった時の
孤独感が増す
なんて事はないだろうか
誰かと喜びを分かち合うための基本は
1人であっても幸せを感じている自分である事
1人でも幸せ
2人でも幸せ
複数人でも幸せ
再び1人でも
やっぱり幸せ
自分自身の幸せの土台が強くなければ
誰かと味わう喜びは
一瞬の起爆剤にしかならず
淋しさを加速させる事になってしまう
何故なら
「1人が淋しい」
という不安がベースになっているため
誰かと一緒である状況は
「不安の上に楽しいを上塗りしている」
という事を意味する
上塗りしたものは剥がれる
剥がれた後に残るのは
やはり「不安」だ
基が変わらなければ
何をやったって結局不安で
「誰かと一緒に過ごした楽しい時間」
という輝かしい瞬間を味わった分
余計に不安が重く感じるという
スパイラルに陥る
更にもっともっとと求めるけれど
基が「不安」ベースである限り
その淋しさは深まる一方だ
1人でも幸せを感じられる場合
既に「幸せ」がベースとなっているため
どんな状況でも更なる幸せを引き寄せる
その出来事が過ぎた後にも
1人であっても幸せなのだから
その前と後では
幸せの度合いがグンと上がる事は想像に易しい
そもそも論だ
根本の問題だ
淋しくてたまらないなら
1人でも幸せである自分にならなくてはならない
何故淋しいのか
それは
誰にも相手にされない
誰かに構ってもらえる価値が自分にはない
見放される
例えるならこんな価値観が
潜在的に潜んでいるからだ
これは言い換えるなら
自分にも相手にされない
自分にさえ構ってもらえる価値が自分にはない
自分から見放される
という事を
潜在的に感じているんだ
つまり
心はいつも
自分自身に無視されてしまう事に怯えているんだ
誰かと喜びを分かち合うための基本は
自分を大切にして
心から愛する事
存分に喜びで満たし
幸せに満ち溢れている事だ
自分を満たすとは
自分の為に
料理を作ってあげるとか
自分の為に
掃除をしてあげるとか
自分の為に
いつもよりゆっくりお風呂に入るとか
自分の為に
静かな空間 自分だけの空間を与えてあげるとか
自分の為に
自分の良さに気付いてあげるとか
自分の為に
優しい言葉をかけてあげるとか
自分の為に
人を喜ばせた「自分」を見せてあげるとか
自分の為に
ありがとうと言ってあげるとか
そんな言動を通して
自分自身を肯定し
自分自身に感謝して
自分の為に尽くしてあげる事が
自分を満たす事に繋がっていく
多くの人は
自分自身の良さを見誤り
見て見ないふりをしている
ちょっとやそっとでは
チラリと覗いただけでは
気付けない程に自分メガネは曇っているよ
良く観るんだよ
良く良く観るんだよ
いつも自分に気付いているんだよ
そうすれば
淋しさは自分の元から去り
喜びが押し寄せて来るようになる
自分にはその価値があると
心から信頼して
自分を満たし
段階を踏んで
真なる幸せを
誰かと共に
たった1人であっても
感じられる事で
世界はどんどん豊かになっていく
誰かと喜びを分かち合うための基本
自分が自分である事
ただそれだけだよ