日常に溢れるメッセージ

日常に溢れる様々なメッセージを綴ります

仕事の人間関係から得られるもの

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仕事をする事には、

様々な理由、動機があると思います。

 

それがどんな理由であれ、

その人の決めた目的であるので良いのですが、

 

働く事に慣れてくると、

仕事にどっぷり浸かってしまって、

いつの間にか仕事に支配されてしまいます。

 

 

私は大丈夫、

そんな事は絶対にありません。

 

 

そう言う人もまた、

仕事に支配されています。

 

 

何が支配なのか、

気付いていないのですね。

 

 

 

例えば、

 

 

 

ちょっと迷惑だなと感じるお客様がいらしたり、

ご不満の声を聞いたりと、

こちらの調査が乱れる出来事が起きた時に、

 

最初は、

至らない点があったのかしら?

と自身を省みるのですが、

慣れて来ると、

 

それなら来なければいいのに!

こっちはいつも通りちゃんと対応したのに、

何が気に食わないのか不満を連ねている!

常連なのだから、

ちょっとは理解してくれたっていいのに!

 

なんて、

相手もどうにか立ち回りなさいよ!

と言わんばかりの言葉が溢れて来たりします。

 

 

取引先が融通が効かなかったり、

無理難題を吹っかけてきたりと、

業務に支障を来すような事が起こった時に、

 

最初は、

それが出来ないなら仕方ないかなと引き下がったり、

どうにか対応しないと迷惑をかけてしまうかなと、

無理を引き受けてしまったりしますが、

慣れて来ると、

 

融通を通してもらう為に無理難題を吹っかけたり、

引き受けながらもちょっと手抜きしてみたり、

影でグチグチ文句を言ったりしてしまいます。

 

 

相手がおかしいと言いながら、

同じ土俵に自ら率先して立っているのです。

 

そして、

自分の言動に表と裏を作り出します。

 

そのようにして上手く渡っていく為の処世術だ、

 

なんてキレイに言っても、

言い方を変えればそれは、

仕事に支配されているという事です。

 

本当の自分を忘れて、

本当に望む幸せを忘れて、

 

自分の口からネガティブな言葉を吐く事を許しているのです。

 

仕事に支配されているのですが、

ネガティブな言葉を吐く事への正当な理由として、

仕事を上手く利用している、

強かさがそこにはあるのです。

 

その積み重ねで、

自分を傷付けているのです…。

 

 

その渦中にいると気付きません。

周りみんながそうだから、

それが当たり前のように感じてしまいます。

 

正義という名の元に、

大勢で一人を貶める事も厭わない、

集団意識の盾にぬくぬくとしながら、

自分自身を貶めていくのです。

 

 

改めて一般社会に紛れて、

周りを見回す事で、

そう言った事が当然のように存在する世界である事に、

かなり驚かされます。

 

だけどそれは、

確かに私がかつていた世界でした。

それは私自身でした。

 

だから余計にショックだったのですけれど。

ショックというより恥ずかしくなりました。

 

 

 

ご自身はどうでしょう?

心当たる事はありませんか?

 

 

 

仕事をする上で大切なのは、

一生懸命に仕事をする事も大切かもしれませんが、

俯瞰で出来事をしっかりと見る、

という事だと思います。

 

生活の為に働いてはいますが、

大きな目的は本来それではなく、

その中で起こる出来事から、

経験したい事を得る為に、

適した環境として選んだ場所なのです。

 

そんな環境を活用するには、

中心に寄り過ぎぬよう、

俯瞰で全体を見渡すように、

観察眼を鍛えておく必要がある訳です。

 

 

前々から、

自分をしっかりと観る事、

観察する事の必要性を書いていますが、

プライベートでも仕事でも、

それは変わらず行う必要があるのですね。

 

出来事に振り回されず、

自分軸をしっかりと立てる事、

常に平静である事、

それらを鍛えるには、

仕事の人間関係というのは打って付けの学びの場。

 

誠意を持って働く事は大事な事です。

仕事に支配されていると言っても、

多くの方は誠意を持って働いています。

だからこそ、気付きにくい。

 

自分の言動の理由に仕事を利用するのならば、

ポジティブな言動の理由として利用したいものです。

自分の言動はどうなのか、

常に気付いていなければ、

そう出来ているのかどうかもわかりません。

 

 

よく観るんだよ、

よくよく観るんだよ。

 

 

 

 

身体の不思議

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一週間ほど

高熱が続いてダウンしておりました

 

西洋医学の力を借りるも

最初は薬が全く効かず

38度以上の熱がずっと続いていたので

身体も解熱モードになっていたのでしょう

 

発熱中は

お水とお味噌汁しか口に出来ませんでした

 

なので

お腹はみるみる引っ込んで

30分から1時間に1度のペースで

排尿がありました

 

どんなに水分を排出しても熱が下がらないので

身体を通る水のサイクルが早まっていたのかもしれません

 

その後

点滴を受けて一気に解熱

身体から熱が抜けて行くのを感じました

 

と同時に

排尿が1日1回に

そして

体重が4kg程増加

 

食べていないのに

 

 

高熱時の解熱モードだった身体は

身体に入った水分を排出しようにも

水温が低いからまだ出せない

と言ったような反応をしていたのかもしれません

 

その後3日かけて

健康な時のリズムで排泄するサイクルに戻り

体重も元に戻りました

 

 

身体の状態に合わせて

全身の機能を都度順応させていく身体

これは凄い事だなぁと感動しました

 

 

 

高熱が続いていた時には

この熱は一体

どこの何の熱なのか

この痛みは一体

どこの何の痛みなのか

などとじーっと観察したりしながら

ほんの一瞬でも過ぎ去るのを感じてみたり

 

その必要があってのこの状況

と理解して

自分の心に問いかけてみたり

 

ヴィパッサナーでの経験を活かして

自分と向き合う時間にしました

 

結果として得た答えは

「人に頼る」という事

 

仕事やプライベートでの色々を

自分一人でどうにかしようと

無意識のうちに心がシフトしていたのかもしれません

 

身体が弱り頼らざるを得ない状況で

人を頼ろう!と決めた途端に解熱していきましたから

 

面白いですね

 

 

 

熱が出る過程

熱が下がる過程

 

どちらも私の意志では

コントロール出来ませんでした

 

出来事を客観的に観察し

何処から熱が出てるのか

何処からが熱で何処までが私なのか

どの細胞がこの重責を担ってくれているのか

色々と見る機会を得たに過ぎませんでした

 

ただ

必要な事を与えられた

それだけでした

 

高熱が出ると

身体には相当な負担がかかります

正に身体を張って

私に学びを与えたのですから

自分自身の尊さを改めて感じます

 

有難い事ですね

 

しんどかったですけどね

 

 

 

 

誰がやったのか

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例えばお家や職場で

何かが溢れていた

汚れていた

壊れていた

などの状況に出くわした時に

 

何故そうなったのか

ではなく

誰がこれをやったのか

に必要以上に拘って

犯人を突き止めようとする方がいます

 

或いは

あの人がやったんじゃないか

と根拠のない憶測を示す方もいらっしゃる

 

 

もちろん

やった人を特定出来れば

その原因を直接聞けるので解決も早くなるのですが

 

先に書いたような方の場合

原因特定を目的として犯人を突き止めるのではなく

誰が犯人なのかを明らかにする事そのものが目的です

 

それはつまり

 

自分は犯人ではない

自分は悪くない

 

という事を証明するための行動

自分を守る為だけに

犯人を特定したいというエゴの現れです

 

 

このきらいのある方は

原因は他人にあると考えがちで

全ての不満は他人のせいだと

無意識のうちに思っています

 

私はこんなにやったのに

何であなたはやらないのか

 

そんな感じです

 

 

 

さて

 

 

ご自身はどうでしょう

 

 

 

 

自分の言動

言葉や思考の癖を

よくよく観察してみると

自分がどういう視点で世界を見ているのかが

よくわかります

 

他人のどんな言動に共感しているのかを

冷静に分析してみるのもまた

自分がどういう視点で世界を見ているのかが

よくわかります

 

 

やがて

誰かが自分をそうさせたのではなく

全て自分が選んでそうして来たんだという事にも

本当に

深く深く気付くはずです

 

 

自分の全てに気付いている事

よく観察する事

自分を理解する事です

 

 

今の自分を知る事でようやく

新たな世界への扉を開けるための「鍵」を

手に入れる事が出来ます

 

その後

扉を開けるかどうかは自分次第

 

 

自分で鍵を手に入れ

自分で扉を開ける

 

全ての言動の動機は

自分の心にあり

自分の心にしかありません

 

 

 

誰がやったのか

 

それを追求しようとする言動は

自分の心を知るためのヒントです

 

その言動をするキッカケになった出来事は

自分の心を知るための

大きなレッスンです

 

自分の為に

自分で用意したギフトです

 

 

 

リラックス

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リラックスして自然に触れる事は

色々な想念から解放され

本来の自分に戻るのにとても良い事ですね

 

そして

 

プライベートに於いては

思考の中に仕事の事を一切入れない事も

大切な事だと思います

 

 

今この瞬間

このリラックスした時間

身体 心 感触を

しっかりと味わう事に集中して

自分自身をチューニングする時間を

しっかりと持たなくては

結果的に仕事の効率が下がる事に繋がりますから

 

 

日々すべき事を真摯に丁寧にし

やるべきをこなしていれば

後はなるようにしかならず

ならぬものはならぬのだから

悩むエネルギーが無駄だと思います

 

人事を尽くして天命を待つ

 

という事ですね

 

ただし

真摯に丁寧にすべき事する

のが大前提です

 

 

上手くリラックスの時間を活用して

仕事もプライベートも

ご機嫌に過ごせるよう努めたいものです

 

 

 

 

感動に気付く

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無意識に

大きな感動を求めてしまいがちだけど

 

日々の生活の中に潜む

小さな感動を見逃してはいけない

 

 

良い天気だ

小鳥のさえずりが聞こえる

今日は気温が心地良い

猫に会えた

タイミング良く信号が青になった

このお惣菜美味しい

短時間なのにぐっすり眠れた

靴下がすんなり履けた

なんだか気分が良い

なんだか幸せ

 

 

そんな些細な感動に気付いている事は

いつかの大きな感動への伏線となり

スムーズに引き寄せられるだろう

 

 

何より

 

 

小さな感動を知らずして

どうして大きな感動を認識できるだろう

 

いつもと違う感動だと

どうして認識できるだろう

 

いつもを知らずに体験したならば

それはただの感動にしかならない

大きな感動はもっと大きいはずだと

欲が溢れて渇望を生み

満たされない想いに溺れてしまう

 

結果

せっかくの感動を無下にしてしまう事になる

 

 

それは勿体ない

 

 

1つ1つの感動を

何一つ漏れる事なく気付くようにすれば

誰よりも感動を味わえる人生となる

 

 

気付いている事

 

 

これが全ての基本だ

 

小さな感動を見落とさず

いつも気付いている事は

いつか来たる大きな感動を

いっぱいに味わい尽くす為の準備である

 

怠る事なかれ

 

これ正にご自愛

 

 

 

物に宿るエネルギー

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美味しかったみたらし団子

 

 

先日、

道端でパスケースが落ちているのを見かけたので、

交番へ届けました。

 

 

拾得物の届出は、

届けたらハイ終わりではなく、

色々と手続きがあります。

10分以上はなんやかやと書類作成に時間がかかるんですよね。

 

私自身の必要な情報を伝えた後は、

その書類が出来上がるまではひたすら待ち時間です。

 

暇だなぁとぼんやりしながらそのパスケースを眺めていると、

何となく、

ただの物ではなく、

意識のようなものを感じました。

 

持ち主から切り離された感じがしない、

と言いますか…。

 

 

これ、

すぐ持ち主の元に帰るだろうなぁと考えていると、

ガラっと交番の扉が開いて持ち主登場。

 

わぁ〜良かった〜!!と喜び合いました。

 

 

大切に使っている物と、

エネルギーは繋がるんだなぁと感じた瞬間です。

 

自分が使っているものも、

大切にしなくてはなぁと思いました。

 

そうすれば、

必ず戻って来るよう色んなサポートを得て、

私を呼んでくれるように思うのです。

 

だから、

美しいエネルギーを注いであげて、

満たしてあげたいなぁと思いますね。

 

出来うる限り心掛けたいところです。

 

 

 

 

嫌よイヤよも…

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人は

嫌悪するものに注目しがちである

好きな事より嫌いな事を考える方が楽しいのだろうか

惜しみなく嫌悪するものに時間を割いている

 

何故あんな事をするのだろう

どうやったら無くせるだろうと

 

理解しようとする事なく

排除する方法を考える為に

どんどん注目を深めていく

 

 

嫌よイヤよも好きのうち

 

 

という言葉があるが

その事ばかりを考えて

頭も心も嫌悪するものでいっぱいになる状態は

正に恋心と同じ

実は

そんな状態が好きなのだ

 

 

考えて考えて

嫌悪に執着するからこそ

注目するからこそ

それらは目の前に現れる

 

ブッダの教えに則るならば

 

全ては過ぎ去るもの

いずれは消え去るものに執着する事に

何の意味があろうか

 

生きていれば

ひと時とは言え嫌悪が生まれる事はあるだろう

けれど

一旦その思いを受け止めたなら一呼吸置いて

次のように心掛けていたい

 

 

喜びと同じように捉えよう

様々な感情と変わりなく平等に扱おう

様々な出来事と変わりなく平等に味わおう

他の方と変わりなく平等に対応しよう

 

そうして

本来すべき事に集中し

それらを求める感情や出来事

人様のご縁を迎える準備を進めていよう

 

 

嫌悪とは言え

そうやって思い続ける事は

「存在して欲しい」

という願いを宇宙に放っているのと同じで

無意識に引き寄せの法則を発動させているのだ

私たちは

引き寄せの法則を使いこなせているのだ

 

頭で望むものとは違うものを引き寄せているけれど

 

どうせ引き寄せの法則を発動させるなら

本当に望むものを引き寄せたいところ

 

目の前の出来事や

それにより生まれる感情

その出来事に関係する方々は

自分が引き寄せたんだなと考えて

一旦冷静になってみる事が求められる

 

何か改善すべき事がないかを探り

学びはないかを探り

すぐにいつも通りの心に帰る

 

平静さ

冷静さ

平常心

 

それらをいつも意識しておく

 

 

何かによって心乱される自分を

少しでも解放出来るよう

自分の為に努めていたい

 

嫌悪に支配される自分を許可せず

幸福に満たされる自分であろう