社会に出て仕事をしていると
やった事 起きた事に対して
検証というものがなされる場面が多い
そこから改善点を見つけ
次回に活かす事が主な目的なのだけれど
なんせ
評論家黒帯の私たちは
批評に傾きやすい
議論しているつもりが
批評に終始している事が多い
そんな状況に
気付いていない事が多い
社会とは
そういう場所
そうなりやすい場所なのかもしれない
批評へ重点がおかれてしまう事により
その中にあった良い事が影を潜める
酷い時には無き物にされる
実に勿体無い
仕事に於いても
プライベートに於いても
自身のメンタルに於いても
ヒト・モノ・コト全てに於いて
良いところを見る事が出来ないというのは
「幸せの放棄」と同義で
とても不利益な事のように思う
勿体無い事だ
社会の中では
その不利益を当たり前のように
そうであるべきであるかのように
錯覚してしまいがちだから
いつでもどんな時でも
自分はこの状況の中から
良いところを見つけられるか?
と問う事が大切だと思う
昔のアニメ
「愛少女ポリアンナ物語」の主人公
「よかった探し」をしていたけれど
(皆さま知ってるのかな?古い?)
正にそれを日々の生活の中で
私たちもしたいところ
自分の周りを「よかった」事で満たし
「よかった」事を引き寄せる磁石にする
自分で世界を作るんだ
そんな訓練の場所として
私たちは社会に出て
仕事をしているのだろう
訓練の場所としては最適だもの