中学生時代の理科の先生が言っていた言葉が、
今もまだ印象に残っています。
その内容は、
例えば、新幹線に乗っているとして、
ただ移動しているだけだと思っているかもしれないが、
細胞、原子にとってはとんでもない事が起こっているのだ、と。
実は原子も、新幹線と同じスピードで移動しているんだ!と。
原子は、電子を振動させながらそれぞれ干渉し合って私たちの身体を構成しているけれど、
新幹線のスピードに振り切られて身体がバラバラにならぬよう、
必死で新幹線のスピードに合わせて移動しているんだぞ、と。
何だって?
大変じゃないですか!
手をぶんぶん振ったそのスピードに、
スタスタ歩くそのスピードに、
原子は遅れる事なく合わせて移動し、
私を「私」で居させ続けてくれている訳です。
まぁご苦労様、大変、
ありがとう。
私の身体は、
私の魂が宿り続ける限りは朽ちることはありませんね。
先のような高速にだって原子はついて行けます。
魂というエネルギーが、
それぞれの存在である原子の原動力になっているのでしょう。
そんな事を考えている時に、
ふとこちらに目が留まりました。
交差点の角にあった電柱や配電盤?の角を覆うクッション材です。
朽ちています。
草木が生えるでもなく朽ちています。
これを見て思ったのです。
このクッション材は、
地球の自転スピードに原子が着いて行けなくなったのではないか?と。
だから形を成していられなくなったのではないか?と。
だとしたらドラマだなと。
多分、誰か信号待ちの時に手持ち無沙汰でむしったりしてるとは思いますが、
もしかしたら強ち間違いではないかもしれません。
地球って本当に凄い存在だから。