憤りを感じる出来事との向き合い方

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年末年始も、相変わらず憤りを感じるニュースが沢山溢れていましたね。

 

相撲のアレコレや、

お笑いのアレコレ、

 

 こちらにも書きましたが、行く先々の人混みでのアレコレなど。

 

 

特に時事ニュースに関しては、

SNSなどでもタイムラインに流れて来ますので、

目に入る機会の多いこと。

 

あらー、そんな事があったのねーなんて、私も度々目にしました。

 

そして、

SNSが盛んになる事によって、誰もが評論家となって批判を投稿するのが当たり前のようになってしまいました。

 

 

おかしい。

間違ってる。

筋が通っていない。

説明せよ。

不信感しかないからもう見ない。

 

 

様々な意見が飛び交います。

憤りがあるのでしょう。

 

 

ならば、

憤らなければ良いのです。

憤らなくて良い環境を整えてあげれば良いのです。

 

例えば、

見ない、

スルーする、

気を紛らわすなど。

 

何だかおかしいなぁと思ったら、何も言わずに離れれば良いのです。

 

ただそれだけなのです。

 

 

 

だけど、

何かしら一言物申さなければ気が済まないと言った気持ちがあるのでしょうか。

SNSに書き込んじゃう。

 

 

その部分に関しては、

それらの出来事が原因ではなく、

自身の中に原因があるという事の現れです。

 

その出来事を通して、

不完全燃焼だったネガティブな感情が再燃し、

その出来事に「正義」としてぶつける事で発散しているに過ぎません。

 

 

きっとね、

心に宿るその「正義」は正しいものなのだと思うのです。

だけど、正義は自分にしか通用しないもので、

他者に向ける事で相手を傷付ける「武器」に様変わりしてしまいます。

争いを生むのと変わらないのです。

 

 

なので、その正しさを活かしたいのであれば先ず、

騒がない。

 

静かに離れる。

争いを生み出さない。

相手の自由を認める。

 

自分の中に静寂を宿し、

自分自身と向き合う事に集中する。

 

 

真実は、雑踏や刺激の中には無く、

いつだって静寂と共に自分の中にあるのだから。

 

 

テレビやニュースに踊らされる事のないよう、

評論家になどならぬよう、

自分で在り続ける事を忘れてはいけないですね。

 

 

争いを起こすマインドは誰の心にも潜んでいます。

 

数々の出来事から、

自分に必要な学びを得ることが出来たなら、

後は静かに速やかに、

そこから離れましょう。

 

そうして自分を守れるのは自分だけです。