婚活パーティーには、
カフェスタッフ時代に店内で婚活パーティー(街コン)が行われ、
それをお仕事の傍ら傍観した事があります。
参加はした事がありません。
なんか、
色々と希望の条件があるんですね。
女性目線で書きますが、
身長は何cmで、
年収はいくらで、
年齢は何歳で、
次男で、
お料理が出来て、
家事も出来て、
とかなんとか色々。
ラブソングでは、
あなたが居てくれたらとか、
夢を追いかけるあなたが好きとか、
見つめられるだけで強くなれたり、
他に何も要らないから側にいて欲しかったり歌っていて、
それに心打たれて感動したりしているはずなのに、
いざ現実世界でお相手を探すとなると、
【条件第一】!!
なのですよねぇ。
不思議な気持ちになりますね。
どんな風に運命の方と出会うかなんてわかりませんから、
参加したい!
と思うのならばどんどん参加すれば良いと思います。
可能性を感じるのなら躊躇する必要はないでしょう。
ただ、
この世の中は自分の内面の鏡であるという事を、
しっかり認識した上で参加する事を忘れないでいたいですよね。
あんまり良い人がいなかった。
と感じるパーティーだったなら、
自分自身が良いと思える人ではなかったという事です。
今の自分に見合った人が、
ただ目の前にやって来たというだけの事です。
客観的に男性目線で今の自分を見て、
「結婚したいと思う女性」
でしょうか。
「守りたいと思う女性」
でしょうか。
「近寄り易い愛らしい女性」
でしょうか。
「安らぎを与えてくれる女性」
でしょうか。
「自分を助けてくれる女性」
でしょうか。
「一緒に連れて歩きたい女性」
でしょうか。
「お互い愛し愛される関係を築ける女性」
でしょうか。
大概ね、外れてるんですよね。
威圧感があったり、
見下していたり、
依存心が溢れていたり、
焦りから淋しさの穴埋めを求めていたり、
着飾れば良いと思っていたり、
黒ずくめだったり、
その日だけの女性らしさ見繕ったり、
ハリボテ感というか、
女性として内側から溢れる魅力が無い方が多い印象でした。
ボロカスに言いますね。
酷いですね。
すみません。
これは男性も然りです。
美輪明宏さんが、
「ありのままを相手に押し付けるのは図々しい事。
泥のついた大根をそのまま食えと言っているようなもの。」
と話していたのを聞いた事があります。
語弊を恐れず書きますが、
内面から魅力が溢れていない方というのは、
内面が泥だらけなのだと思います。
今の私はこのまま変わりません(見栄え良く着飾りはします)が、
こんな私を受け入れる好条件男子カモン。
そんな状態です。
私が男性なら頼まれてもお断りします。
条件を付けて相手を求めるのであれば、
その条件に見合う自分になるよう、
自分を磨く事は必須であると思うのです。
まぁ今だから言える事なのですけどね。
私も泥だらけでしたから。
内面が泥だらけというのは、
言い方を変えれば、
自分が自分自身の素晴らしさを知らない状態と同義です。
自分の素晴らしさ、
内面に輝く愛の存在、
暖かくて柔らかく包み込むような女性性、
そんな素晴らしい光があるだなんて知らない、
という事です。
勿体ない。
ケーキなんて作った事がないんだけど、
何となくそれっぽく作ってみたんだ。
どんな味がするかわからないし不味いかもしれないけど、
2千円で買って欲しい。
なんて言われて買う人はいるのでしょうか。
その良さを知らないまま売り付けるなんて、
商売として愛がありません。
それと同じ事だと思います。
自分磨きと言って習い事をしたりも流行りましたが、
外から何かを注入するのではなくて、
内に埋もれた光を掘り起こす事が必要で、
何かを手にするのではなく、
手にしているものを手放していく事です。
そうして自分を軽やかにし、
内から発せられる魅力が輝き始めたら、
相手が居なくても幸せを感じられるようになりますし、
婚活パーティーに参加せずとも、
自然と相手を引き寄せるのだろうと思います。
婚活であれ何であれ、
大切なのは自分の内面を磨く事。
自分の素晴らしさを見つけ、
自分を信頼し、
自分を愛する事だと思います。
自分を愛するというのは、
ワガママに自分都合で生きる事ではありません。
利他に利己を得る生き方です。
「心」無くして得られる幸せは、
脆く儚いもののように思います。
それらを踏まえた上で、
婚活という仕組みを上手く利用出来たら良いですよね。
今の自分はどうなのか省みて、
泥を落とさなくてはね。