それぞれの学び

先日
初めて流し雛を体験しました
この世には
沢山の生命が
それぞれの生を生きていらっしゃいますが
改めて
一人ひとりにある学びというのは
違うものなのだなぁとかんじました
同じ場所
同じ環境
同じ体験にあっても
人の数だけ感じ方が異なり
心の熱量の高低
受取り方の重軽
感度の振り幅が全然違う
ただそのどれをとっても
善し悪しというものは存在せず
どれも必要があって起こるもので
常に常に
自分自身に様々なきっかけを与えている
というのが非常に不思議で
面白いものです
そして
人様に起こったはずのトラブルでさえ
そこに居合わせている人たちにも
それぞれの学びが隠れていて
その出来事の重さとは全く関係のない
縦横斜め別角度の
その人だけの学びがあったりするのも
異種交流のようで面白いものです
ここ最近の出来事を振り返りますと
私自身にも学びがありまして
かんじた事を声に表す
という事を恐れず実行する
そんな事を思わせる出来事が続いています
ふとここが氣になったけれど
でももうこうやっているだろう
と心の中で決めつけて
表に出さないでいると
実はやってない
或いは不充分だった為に
もう一度確認する必要があった
そんなような直感が重なりました
あ 私って結構
自分の直感を無視してたんだ
という氣付きを得た感覚です
とても些細な事なのですけれどね
人様の大事に乗じて
そんな私の学びが添えられていたりする
人はそれぞれの学びを体験しながら
そうやって人様の学びを添える事でも
助け合って
支え合って
生きているんだなぁと
感慨深くなりました
皆様の周りに溢れる出来事も
自分の学びが添えられているかもしれません
有り難く受取り
氣付く事が出来る心を備えておきたいですね