立春に想う

今年も立春に
お参りに上がらせていただきました

明日から寒波の影響で
日本海側は大雪になる予報のようで
その前に参拝出来たのは
本当に運が良かったです
何年か前には
降り積もった雪が残ってましたが
今年は殆ど雪がありませんでした
氣温にしても
何度訪れても
一度として同じであった事がなく
常に新しい「今」なんだとかんじます
全ての事柄についても
目の前の事というのは
常に新しい「今」なんですね
いつもと変わらない朝
なんていうのは
永遠に訪れる事がない妄想なのでしょう

真名井神社は私が好きな場所
その場の空氣をかんじながら
ただ静かに滞在するようにしています
他の観光地同様に
海外の観光客が非常に多くありました
聞こえる声が
殆ど外国語だったと言っても過言ではない程に
とはいえ
日本の観光客も多くありました
その中でも
スピリチュアルコミュニティのツアーで訪れている
団体様が本当に沢山いらっしゃいました
それだけ沢山いらしても
面白い事に
私が参拝する時には皆様いなくなって
人払いがなされました
有難い事ですね
いつもよりは賑やかであった今日でしたが
神社参拝について想いを強くしたものがあります
またまた不敬な事を書きます
以前に
神とは崇めるものではない
というような事を記しました
この想いは
私の中ではほぼ確信になっていて
神様はいないと思っています
ただし
私達が「神様」と呼んでいる
「存在」そのものはいると思っています
ちょっとややこしいですけれど
その「存在」は
謂わば先輩や先人のようなもの
神社に祀られている「柱」の皆様も
先輩である先人です
神社参拝とは
その諸先輩方の住まうお宮に
お参りに上がらせていただく
お邪魔させていただく事です
なのですが
そこでの振る舞いに
ハテナ?が浮かぶ事が沢山あります
一つに
どこそこ構わず写真を撮りまくる事
私もかつてやってしまっていた事ではありますが
これって失礼な行為だと氣付いたので
今は断りを入れてから
撮影可能な場所で1〜2枚撮らせていただくに
留めています
どれくらい失礼な行為かというと
先輩や目上の方などにお招きされ
お家にお邪魔した時に
玄関を入っていきなり室内を
パシャパシャとカメラ撮影するような
そんな無礼さです
神様は
先輩や先人のようなものと先に記しました
実際の先人宅なら絶対にやらないだろうに
かたや神社となると
その箍が外れるのは何故だろう
何かの映えばかりを意識して
相手への尊敬や畏敬が
おざなりになってしまうんですね
次に
スピリチュアル界隈でありがちな事
これには
少し異様さをかんじてしまいました
それぞれの流儀というのをお持ちでいらして
それをお社を前にして
周り構わずやらかしてしまう
今日の方は
大きな鈴をお持ちになっていて
境内のあちこちで
シャンシャンと鳴らしまくっていました
祓いのつもりだったのでしょうけれど
私にはエネルギースタンプのように
見えてしまいまして
神様も迷惑だろうなぁとかんじてしまいました
これは
先輩のお宅へお邪魔して
勝手にあちこちのインテリアに
シールを貼り付けるような行為
度が過ぎると
そこから神様がいなくなってしまいそうだと
かんじてしまいました
例えば
手を参拝で合わせる際に
2礼2拍手1礼や
3礼3拍手1礼など
礼や拍手の回数の相違程度なら
別段問題ないと思いますが
それ以外の流儀の持ち出しは
出来るだけ控えるのが吉かと思います
先輩や上司や先人宅ではやらない事は
神社でもやらない
御神木に触れるのも同じ事だなと
最近氣付いてしまいました
人様のお宅のインテリアや調度品に
勝手にベタベタ触り倒したりしないように
変なエネルギースタンプを付けてしまう行為は
慎むのが吉かと思います
私もかつてやってしまっていた事なので
大いに反省して
今後はやらないと心に決めています
どれもこれも
自分の家でやられたら不快極まりないですし
変なエネルギースタンプを付けられると
浄化の手間も増えてしまうので
迷惑以外の何物でもないとかんじるでしょう
そんな事をやらかしてしまうというのは
エゴの押し付けであり
相手から奪う行為になり得るので
いわゆるスピリチュアルな道からは
外れてしまうんだと
知っておくと良いかもしれません
私達はまだまだ
救いを求めて学びながらも
エゴと依存と執着が心にあって
渇望と嫌悪の間に立たされていますね
そんなような事を
改めて考えさせられる参拝となりました



