日常に溢れるメッセージ

日常に溢れる様々なメッセージを綴ります

様々な信仰心

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7年ぶりくらいに

年末年始を地元以外の場所で過ごしました

 

 

いわゆる年越しのタイミング

0時のタイミングで家にいないなんて

本当に久しぶりです


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初詣も別の土地だったので

こちらへ戻って2日に土地神様へ

3日の本日生田神社へと

ご挨拶にあがらせていただきました

 

今年の生田神社は

冒頭の写真のように

楼門の2階に和太鼓が並び

太鼓の音でお出迎えされてました

祭囃子が賑やかで

訪れた参拝客もカメラを向けて

その音を楽しんでいました

 

外出の自粛を求められていた数年前には

おみくじでさえ

携帯電話からアクセスして結果を知るという

デジタルおみくじが取り入れられていましたが

今年は昔ながらの紙のおみくじで

沢山のおみくじが結び所に結ばれてました

 

おみくじを引いた皆様が

なんだか嬉しそうでしたね

アナログでしか得られないものを

かんじてらっしゃるようにかんじました

 

 

 

そんな盛り上がりのある初詣

沢山の方が訪れ

新年を慶び楽しんで

少し舞い上がっているような

浮かれた空氣が溢れていました

 

 

 

そんな空氣をかんじながら

 

 

なんだかわからないけれど

 

 

とっても違和感をかんじていたんです

 

 

なんだろう この違和感は

 

 

わからなくはない

わかってはいるのですが

言葉にするのが非常に難しい

 

 

この世界には

本当に沢山の信仰が溢れていて

善し悪し抜きにして

小さなことから大きなことまで

本当に沢山の信仰で溢れています

 

 

それぞれ

それが正しいと思っていて

だからこそ

そうでないものは『正しくない』

という判断が無意識になされています

 

それにより

 

『唯一』

 

というなにかしらを

無意識に心に据えられているようにかんじます

 

それもいいよね

これもいいよね

 

それはよくないよね

これもよくないよね

 

全てがある世の中で

どちらにも偏りやすい

バランス 中庸を取る事を

楽しむための世の中

 

それが偏り過ぎているのかもしれないなと

ちょっと思ったりします

 

 

今の自分の場所から

もっと俯瞰で見た時

何かに氣付くだろうと思います

 

でも更にそこから

もっと俯瞰で見て

そしてまたそこから

もっと俯瞰で見る

という事をした時に

 

自分が『正しい』としている

その『唯一』の何かは

一体どのように映るんだろう

 

そういう違和感を

このお正月三が日にかんじております

 

 

今年はその違和感を

より濃厚に鮮明にかんじられるよう

現象として現れているように思えてなりません

 

 

この感覚もまた

私にとって『正しい』と思い込んでいる

『唯一』の何かによるものなのでしょう

 

 

善し悪し抜きにして

 

 

かんじた事を大切にしながら

色々と自分を探る一年となりそうです

 

 

どんな年であろうとも

常に自分に氣付いている事

自分を観る事を

変わらず続けていかなくてはいけませんね

 

 

よく観るんだよ

よくよく観るんだよ