日常に溢れるメッセージ

日常に溢れる様々なメッセージを綴ります

心には愛を

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この空間に入りたくなる

 

 

最近

怒りの課題を抱えている人が

ちらほらいるなとかんじています

 

湧き立つ怒りを味わいつつ

その怒りと共に溢れ出る様々な想いが

いったい何を意味するのか

 

それに向き合わなくてはならない

そんな課題です

 

 

 

溢れ出る想いが

その怒りを与える相手に対して

【相手が改善すべきこと】

と捉えている方もいるのですが

実は違うんですよね

 

溢れ出る言葉の1つ一つ全てが

【実は自分のこと】

なんです

 

語れば語るほどに

自分のことなんですよ

 

 

ただ

 

 

それを語っている怒りの中にある本人は

それに氣付いてなくて

その理不尽をわかって欲しくて

熱くなってるんです

 

 

あぁ燃えてるなぁと思いつつも

この怒りは

本人に必要な何かなんだろうと

うんうんと聞きながら傍観しております

 

 

そして今

なぜ怒りを湧き立たせる必要があるのかと

かんじ考えてみますと

それは

 

心に愛を満たすため

 

これに尽きるのかな

 

 

心が怒りに支配されていると

そこに愛が入り込む隙がありません

 

お片付けにおいても

整理整頓をする時には

先ずは全部出して仕分けをして

不要なものを廃棄し

必要なものを収納していのは

基本中の基本

 

感情においても

同じことが言えるのかなと

勝手に思っております

 

 

本来必要である

愛を心に満たすために

不要な怒りを手放すために

味わう時間が設けられているのでしょう

 

怒りって

しっかり味わって

怒り尽くしてから手放さないと

不完全燃焼になったものは

後々またくすぶり出すので

ちゃんと怒り切るのが大切なんですよね 

 

これから先のこの世界は

心を愛で満たしておくことが

本当に重要となりますし

その時期というのが

本当に差し迫っていて時間がないので

今このタイミングで

味わわなければならない人が多いのかもしれません

 

 

怒りは圧倒的に

全てのヒト・モノ・コトに対して

感謝や謙虚さ

愛が足りていない時に現れやすいものです

 

他人だけじゃなく自分も含みます

 

自分は何か特別な存在であると過信していたり

自分は何の力もない存在であると卑下していたり

 

これらの想いは

実は傲慢であり

愛の欠如でもあるんです

 

自分の価値を定義して

相手を評価していることに

氣付かないんです

 

いったい何様なんだと

そういう傲慢さですね

 

平凡である自分を許さない

平凡にさえ自分を押し上げることを許さない

自分に対して制限を課し

可能性を潰していることに

氣付かないんです

 

いったい何様なんだと

そういう傲慢さですね

(2回目)

 

 

 

 

そういうものを手放して

心を愛で満たすために

怒りを味わう今

 

しっかり味わい尽くして

たっぷりと愛で満たして欲しいなと

願います

 

 

特別で平凡でおバカさん

良いも悪いも全てを持ち合わせた存在

 

私もあなたも

愛すべき存在です