悔しかった出来事も
悲しかった出来事も
気がつけばもう
過去の出来事となっている
「今」が「さっき」になり
「昨日」
「3日前」
「先週」
「先月」
「昨年」
「3年前」
「昔」
どんどん過去になって行く
悲しかった出来事ばかりでなく
嬉しかった出来事でさえ
同じように過ぎ去っていく
全ての出来事は過ぎ去っていく
移り変わっていく
不変なものは何一つなく
全て無常である
アニッチャである
だから
いかに上手く手放す事が出来るか
その手腕が「今」の気持ちに影響を与えるのだと
私はかんじる
嬉しかった事は
いつまでも抱きしめていたい
悔しかった事は
報復とまではいかずとも
何かしら一矢報いたい
なんて想いを
無意識に抱えてしまいがちだから
それに気づいていない内は
なかなか手放す事が出来ない
そんなものだと思う
かつて見たインタビューで
ホームランを打ち続けるコツとして
「ホームランを打った瞬間に忘れる事
そのホームランに特別な思いを持つと
あの時あぁやって打てたのだからという先入観が
身体の自由を奪って打てなくなってしまうから
常にニュートラルな状態で居られるように
打ったらすぐに忘れる」
と答えていた
忘れられない状態というのは
過去に生きる状態だから
足枷を付けながら未来へ行こうとするようなもの
上手く忘れて
手放して
軽やかに前へ進む為にも大切な事なのだと思う
この夏もまた
様々な感情が表に出て来て
色々と手放す事が多かったけれど
「手放す」
という事そのものはきっと
これからも続けていかなくてはならない事なのだろう
その瞬間は
喜びも悲しみも存分に味わいつつ
上手く手放せるように
自分の心の状態をよく見ておかなくてはね
時は過ぎる
全ては過ぎ去っていく
私たちは常に
新しい自分に生まれ変わっている
手放し上手になって
軽やかな自分でありたいと思う