とある方が言ってました。
「今の自分を否定する事から始まる。
今の自分に満足していたらそれで負けだ。
今の自分を否定しなくちゃ。
自分を否定するエネルギーが、次の発展の活力になる。」
努力家で大成功している方の言葉です。
なるほど説得力があります。
確かに正しいです。
正しいのですが、
一般的に言われている「自己否定」とは、
少し意味が違うのです。
それに気付かない人が、
言われるがままに行動してしまうと少し危険。。
絶対にと言わないのは、
それで上手くやれる人もいるからです。
私は、
自己否定には2つの意味があるようにかんじています。
(個人的な見解なので、ご自身がどうかんじるかを大切にして判断してくださいね。)
一般的に言われている「自己否定」とは、
自分の命そのもの、
生きている価値、存在そのものを否定する事を指します。
自信がない、
上手くやれないかもしれない、
これを言うと嫌われるかも、
こうされるのは嫌だけど我慢しなくちゃ、
弱い自分はダメだ、
何の取り柄もない、
皆んなと同じでなくてはいけない、
贅沢してはいけない、
といった自分の命そのものの否定ですね。
そんな想いが捻れると、
自己承認欲求が加速してしまい、
怒りの感情として他者を攻撃し始めます。
見下されたくない、
あの人より凄い自分でありたい、
何であんな人が、
あの人はバカだ、
成功したって悪い事してるに決まってる、
もっと物を所有したい、
良い車に乗って自慢したい、
高級な時計を着けているから私は凄い、
その為のお金が欲しい、
名誉が欲しい、
あの人には渡したくない、
奪ってやる、
そんな怒りの感情です。
怒りと自覚はなくても、
それに近い想いを持った事はないでしょうか。
それらは、
自己否定から来るものです。
その結果として、
現在世の中に溢れているSNSでは、
自己承認欲求を満たすためのアイテムとして、
世界中で活用されていますよね。
よくよく見てみると、
何故そんな事をわざわざアップする必要が?
というような投稿も沢山あります。
皆んなからの「いいね!」「すごい!」が、
自分の承認欲求を満たしてくれている…と勘違いしているのです。
自分の心は他者には満たせません。
自分を幸せに出来るのは自分だけです。
何故なら、
どんなに凄い!いいね!と言われようとも、
先に書いたような、
自分の命、
存在そのものを否定する意識が心の奥深く、
潜在意識に根付いていると、
マニキュアと一緒で、
時間の経過と共に剥げ落ちてしまいます。
常に賞賛を浴びていなくては満たされない、
益々渇望に加速してしまうのです。
その自己否定をクリアする事が大前提。
それが無くては、
何をしたって結局満たされず、
SNSの為に生きているような、
他人の目の為に生きているような状態になり、
自己を見失ってしまいます。
それを踏まえた上で、
先に書いた彼が言う「自己否定」とは、
一般的な「自己否定」は自分の中に無くて、
自分の命、存在そのものの価値は認めているんです。
誰に何を言われようと自分には関係ない。
それに怒ったり傷ついたりしているエネルギーが無駄だ。
これは、
ブッダの教えに近いとても深い考え方です。
本当の意味での価値がある自分が、
お金がないと苦しんでいる、
やりたくない仕事をやらねばならない、
奴隷のように使われる、
という状況を良しとしている、
甘んじているのを許して良いのか、
何をやっているんだ私は!
という自分への「喝」なんですね。
奮起させる為のものです。
全く意味が違うのです。
そこを取り違えないようにしなくてはいけません。
これからの時代、
自己肯定感を高めて自分の価値を知る、
というのが基本になってくるのではないでしょうか。
自分を認められると他人も認められます。
怒りや不満が減って来ます。
自己責任の本当の意味も理解出来ます。
全ては心の在り方であると理解出来ます。
そうして、
自分軸がしっかりと立つ、
グラウンディングが叶っていくのだと思います。
外からアプローチして内に働きかけるのも良いのですが、
内からのアプローチ無しには成り立ちません。
それらが全て整ってこそ、
「今の自分を否定する事から始まる。
今の自分に満足していたらそれで負けだ。
今の自分を否定しなくちゃ。
自分を否定するエネルギーが、次の発展の活力になる。」
こういうエネルギーの使い方も、
使いこなせるようになるのではないでしょうか。
そもそも自分は、
自分自身をどれだけ肯定出来ているのか、
実のところわからないものです。
他人に対しての言動は全て自分への感情。
そう意識してみると良いかもしれません。
愚痴や不満が口をついて出た時、
それは自分の事を言っているんだと認識してください。
自分がいかに自分を傷付けているのか、
わかると良いですね。
全ての人は幸せになる価値がある、
尊い命なんだと。