私たちの命は永遠に続くものです。
ただ、
形を変えていくだけです。
それを理解するのはとても難しく、
仮に理解していたとしても、
いざという局面では、
その意識を忘れてしまう事もあるでしょう。
こんなお話があります。
終末期の患者のメンタルケアをされていた、
外国の方のお話です。
余命を悔いなく過ごしていただくためにと、
様々な言葉をかけて、
感謝の気持ちに包まれた状態で見送る、
という事を何十年と行ってきました。
患者さんからもご遺族の方からも、
喜びと感謝の言葉を頂くほど、
その働きは素晴らしいものだったそうです。
しかし歳を重ねていくと、
何のいたずらか、
ご自身が病(ガンだったかな?)で余命宣告をされ、
終末期を過ごさねばならない状況になってしまいました。
あれだけ多くの方の心をケアし、
安らかな最期を見届け、
ご遺族にも感謝されてきた実績があるにもかかわらず、
彼女はこの状況を受け入れられずに絶望感に苛まれ、
人が変わったように荒ぶり、
私がこれまでやって来た事は間違っていた!
とさえ言ってのける程に嘆き悲しんでいました。
とても安らかな状況とは言えません。
結局彼女は、
自分の最期を受け入れらぬままこの世を去ったと思います。
憐れな事です。
頭で理解するのと、
実際に経験するのとでは、
雲泥の差がある事がわかりますね。
命は永遠に続くと言われても、
簡単には理解出来ませんし、
いざその時を迎えると悲しみに打ちひしがれるかもしれません。
その道のプロでさえ取り乱す程なのですから。
だからこそ、
普段から自分の経験に基づく理解に至らしめる努力をせねばならないと思います。
それには精神性を上げていくしかないと思います。
近道などありません。
あるにはあるけど生易しいものではありません。
それこそ命に関わる程の事態ですので、
耐え切れるかどうか。。
私たちは皆一つです。
お互いに学び合い、
課題を分かち合っています。
この世に起こった出来事の、
ネガティブな部分に意識を奪われ続ける事なく、
そうなった事で知れ渡った事、
明らかになった事はないか、
良かった点はないか、
そんな事に気付いていく練習をしてみましょう。
ただ被害に合った、
ただ命が奪われた、
そんな程度で済ませてはいけません。
責任を取らせろ!
損害賠償でいためつけろ!
命で償え!
そんな安易に暴力的解決方法へ傾いてはいけません。
全ては学びです。
赦しや愛、慈しみや憐れみを学ぶための課題です。
命を持って呈してくれたのです。
身体を張って呈してくれたのです。
命は永遠と知っている潜在意識が、
身代わりとなって示してくれたのです。
それを知る機会こそ今ですよ。
どうしても怒りや不安に意識が振れるようなら、
テレビなどの情報は遮断しましょう。
心の軸を立てる事に集中しましょう。
自分をよく観る事、
よくよく観る事、
これが基本です。
命の本質も、
自分の中に答えがあります。