自分に必要な情報は、
様々な形で発信されているけれど、
どんな形で発信されるかはわからない。
著名な人かもしれない、
セミナーの講師かもしれない、
でも、
近しい人が伝えてくれるかもしれない、
好きな人かもしれないし、
嫌いな人かもしれない。
近所の看板、
流れてくる音楽、
ふと目に留まった広告、
通りすがりの通行人、
たまたまページを開いた本、
過去の自分のブログ記事やSNS、
仕事の業務の中で、
家事の中で、
数え切れない程に多くの機会がある。
私たちは無意識に、
著名な人や影響力のある人の言葉を受け入れやすい傾向がある。
逆に、
近しい人や、特に家族、
自分より若年層、子供、
嫌いだったり苦手なタイプの人の言葉は受け入れ難い。
だけど、大切なのは、
誰が発信したかではなくて、
その情報が自分にとってどうなのか、
という事。
どんなに偉い方が言った事であっても、
自分には違うとかんじるのならば、
それこそが真実。
皆んなが信じているからと言って、
自分も信じなければならないような義務はない。
発信元が誰であろうとも、
自分には関係ないんだ。
実際、私も過去OL時代に、
嫌いな上司の言葉を
「わかったような事を言っちゃって」
なんて流した事があったのだけれど、
その後間も無くして実感する出来事を経験した。
まだまだひねてた頃だったので、
真実である事が悔しかったけれど(心が小さいね)、
今はちゃんと言ってくださった事に感謝している。
好き嫌いで判断しているうちは、
正しい情報はなかなか巡って来ない。
遠回りしてタイミングを見計らってやって来るので、
すごく時間がかかる。
因みに先の上司の言葉は、
「相手が誰であれ、その人から学ぼうという気持ちがあれば全てが学びになる。逆に、嫌いだからとか、バカにする気持ちがあれば、どんなに素晴らしい事を言われても学び取る事は出来ない。」
「なぁなぁでは仕事は出来ないんだよ。」
の2つです。
今は大事にしている言葉たちだ。
大好きな猫からも学びはあるし、
子供たちからも学びはある。
嫌いな人からも学びはあるし、
好きな人からも学びはある。
著名であろうがなかろうが、
学びはある。
私が「学びだ」と思ったその瞬間、
それが真実の言葉を受け取った時なんだ。
惑わされてはいけない。
「誰から聴くかが大切」
と言われるのは、
自分の段階に合った人という意味合いが大きいように思う。
自分が受け取れる段階に無ければ、
例え好きな人からの発信でも受け取れないからね。
本当に重要な事は、
大切な人から情報がやって来る事が多い、
というのは私の経験。
こればかりは人それぞれだから、
自分がどう思うのか、
自分はどうなのか、
学びと感じるのか、
その感度を高めておきさえすれば、
必然的に重要な情報は来るべくして来る。
面白い仕組みだよ。