「ハナズオウ」というお花だそう。
キレイだったよ。
私が、
「今を生きる」
「本当の自分に還る」
と心に決めてから様々な変化を体験してきた。
その中でも、
最初に自分の心を軽くしてくれたのは、
今、私がそれをやっていないという事は、
「それは私にとって必要ではなかった」
と気付いた事だった。
「あれ?問題なくない?私が勝手に、
責められたらどうしようとか、
ちゃんとやらない人と思われたらどうしようとか、
ビクビク怯えてるだけじゃない?」
そんな事をふと思ったのを覚えている。
実際、全く気持ちが進まず、
やらずに放置してしまっていた諸々の事、
結果何も進まず立ち消えになっていたりする。
相手も本気じゃなかったり、
もっと良いアイデアが閃いたり、
方向転換しなくてはいけないからやらなくて良かった!
という事も沢山あった。
さらに掘り下げるとこれらの事は大概、
最初に些細な違和感を感じている事にも気付く。
それを無視して行動してしまうから、
「放置」という無責任を生み出してしまっていたのだと「わかった」。
逆に、
必要な事は意識せずともスムーズに事が進み、
思考や心に抵抗を感じない事にも気付く。
そう感じた時に、
頭や心や身体が一気に軽くなっていったのを覚えている。
解放とはこの事か、と。
実にシンプルでわかりやすい。
わかりやすいのに、
あまりに些細過ぎて気付きにくい。
それが難点だ。
自分の心の動き、
自分が望む目的、
自分の本質など、
「自分」というのもを理解していなければ、
その些細な違和感を感じ取れない。
自分軸が無ければわからないものだから。
だけど、
自分軸の大切さを再認識する事が出来たので、
そこからは腹を括って実践するしかない。
一つ一つの出来事は学びで、
その経験から「最初の些細な違和感」を感じる訓練を、
ひたすらに繰り返し実践し続ける事で、
大きく軽減出来たと思う。
怖かったり苦しかったりもあったけれど、
自分の意志で行動していたので、
耐え抜く事、忍耐が出来たと思う。
人からやらされるよりも、
自分でやる方が頑張れるものだ。
それでも、
なかなか完璧にするのは難しいところで、
違和感を感じていたのに行動してしまった時には、
それを素直に認めて、
キチンと終止符を打つように心掛けている。
決して、
やってしまった事を否定するような事はしない。
間違える事も含めて「完璧」なのが私たちだから。
「あ、あの時のあれが「違和感」だったのか。
気付けなくてごめん。」
そう認めて手放す方向へ向かう。
直ぐに気付くものもあれば、
数年かかって気付いたものもある。
それにより、これから手放す予定のものもある。
気付いて対処すれば良い。
そんな自分を信じてあげれば良い。
残念ながら、
もう既に自分の手に及ばないものもある。
その場合は、
自分の心で認め、
これからの選択をどうするかに心を定める。
私の未熟故に、
あのような行動をしてしまってごめんなさい。
これからは、自分の心に従って、
キチンと選択していきます。と。
エネルギーでは繋がっているからね。
そして、
お互いが気持ち良い状態で居られるよう、
今後、立ち回りや言動を意識できるよう努める。
そうだとわかった瞬間から、
全ての言動は自分の「選択」に変わるから。
何を選択するのが自分が目指す姿に相応しいか、
しっかり見定める事も自分への愛だ。
たった一つの気付きから、
芋づる式のように様々な気付きが湧き出てくる。
沢山の火を灯すには、
たった一つの小さな火から始まるんだ。
私たちの人生は、
「今この瞬間の選択」の繰り返しでしかない。
何を選択するか、いつでも最善を選ぶように心掛けるしかない。
(今までもそうして来た)
その選択によって、
自分が抱えるべきものを極限に減らして行ける。
全ては自分が創造しているのだから。
最初は多少の痛みを伴うかもしれないけれど、
筋トレで例えるなら、
使わなかった筋肉を使い始めた時の痛みと同じ。
鍛えられた時に必ず消えるものだから、
ほんの少しだけ忍耐。
私は越えられる。
信頼、愛を自分にたっぷりと注ぎながらね。