日常に溢れるメッセージ

日常に溢れる様々なメッセージを綴ります

今を生きるという感覚

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私たちはいつでも

「今」「今」「今」

を積み重ねて生きています。

 

「さっき」というのは存在しなくて、

それを語るその瞬間でさえ「今」なのです。

 

そんな「今」を生きているという感覚を、

最近よく感じられるようになってきました。

 

 

 

かつては何か楽しいイベントなどがあると、

翌日にもその興奮を引きずっていました。

頭の中がそのイベント時の楽しさに溢れている、

そんな感じでしょうか。

 

目の前には仕事があるのに、

皆んなで笑い合ったあの時の興奮が頭にあって、

何で仕事をしなくてはいけないんだろう、

なんて思ってしまう事もしばしば。

 

なので再び、

その興奮を求めてイベントを開催したり参加したり、

いつもそんなような事を考えていたように思います。

 

過ぎた時、まだ来ぬ時、

つまり、

過去と未来に心を向けていたので、

現在に心在らず。

今を生きていなかった事が多かったと振り返っています。

 

 

今はというと、

 

 

昨日、

司会を務めたイベントがあったのですが、

今現在、

遠い過去のように感じています。

 

その日の夜には、

ヨガに夢中になっておりましたし、

図書館で借りた本を読んでふむふむ感心しておりました。

 

程よい疲労感を感じながらお風呂で寛ぎ、

昨夜ベッドに入る時にはもう、

私の中から過ぎ去っておりました。

つい先程の事とは思えないくらい遠くなっておりました。

 

 

時は過ぎて行くんだなぁと改めて思うのですが、

それ以上に、

「今」を生きられるように、

「今」を感じられるようになったのだなぁと、

深く感じます。

 

 

快楽を求め過ぎると渇望になり、

苦行を求め過ぎると嫉妬を生みます。

 

これらはいずれも「執着」であり、

自分以外に心を奪われる事、

他人軸での生き方を意味しますね。

 

快楽、苦行、他人軸などの言葉は一旦置いておいて、

つまりは、

「執着」を手放す事が「今」を生きる事に繋がる、

とも言えます。

 

私たちは無意識のうちに「執着」を大切にしています。

 

その「執着」とは何なのかは、

自分にしかわからないものです。

ヒーラーやカウンセラーなどは、

サポートこそしてくれるものの掴むのは自分。

普段から自分の内側としっかり向き合う事が大切なのですね。

 

断捨離などに効果があるのは、

その「執着」を物理的に手放す行為だからだと思います。

手放す事への恐れを手放すという方が正しいでしょうか。

 

その恐れを手放せた時、

自分の「執着」と向き合う準備が整うのかもしれませんね。

 

 

「今」を生きるという事は自分を生きるという事。

様々な「執着」を手放し重い鎧を脱ぎ捨てて、

軽やかに日々を過ごす事。

 

桜の花に喜び、

青空に喜び、

床に触れる足の裏の感覚を味わい、

ふと聴こえてくる風の音、鳥の歌声を感じる事。

 

それが、

「今」を生きるという感覚なのだと思います。