先日取り上げたブログ記事に、
親からもらった身体に毒を入れてはいけない、
というイトキンさんの言葉がありました。
お酒、添加物、農薬などの薬品、
自然界に存在しないような科学的なもの。
これらは正に毒で、
私たちが本来持ち合わせている能力や機能を奪います。
なので出来るだけ…と言うよりも、
僅かでも摂らないようにするのが身の為であり世界の為です。
しかし現状は、
ここまで沢山の添加物などが溢れているという事は、
集合意識で私たちが求めているからこそ顕現されているわけで…。
また、
生活環境や、諸々の都合で、
一気に変えるのはなかなか難しいです。
外食なんかしようものなら、
ほぼ避ける事は無理でしょう。
少し話が変わりますが、
ふと思った事があります。
12歳の頃の話です。
今でもハッキリ覚えています。
両親の故郷を訪ねた時の事。
その時にのったカーフェリーの中で、
乗船前にお弁当屋さんで購入した唐揚げ弁当を家族で食べたのですが、
一口食べたらあまりのマズさに吐き気がして、
全く食べられませんでした。
何とも言えない口の中に広がる臭気…。
込み上げる吐き気…。
かなりキツかったのを覚えています。
そして母親に言ったのです。
「お母さんの唐揚げしか食べられへん。」
そのお弁当屋さんとは、
よくあるフランチャイズのお店だったと思います。
添加物、もちろん使ってるでしょうね。
では当時の母親の唐揚げはというと、
味付けは超有名な製粉メーカー、
「○○製粉のからあげ粉」
添加物バリバリの唐揚げです。
今食べると口の中がチクチクします。
どちらも添加物だろうに、
何が違ったのだろうか?と思いました。
因みに、
当時の母親が作るお弁当と言うと、
○○製粉のからあげ粉を使った唐揚げ、
○○○のおべんとくんのミートボール、
卵焼き、サニーレタス、ブロッコリー、プチトマト。
このおかずが揃ったものが、
私の中のスペシャル弁当でした。
ミートボールも添加物たっぷりですよ。
何が違うの?
この当時、
母親は工夫をこらして、
私たちに色んな料理を作ってくれていたんです。
パスタ、グラタン、ハンバーグ、カレー、
子供が好きそうな物をアレコレと。
もちろん和食もありますよ。
魚で育った両親なので。
それらの料理にあって、
先のお弁当屋さんのお弁当に無いもの。
それは、
「母親の愛」
だろうと思います。
その証拠になるのかどうかわかりませんが、
○○○のおべんとくん ミートボールに並んで売られていた、
○大ハンバーグという個包装されたハンバーグがありましたが、
アレはマズくて食べられないのです。
ハンバーグは母親が手作りしてくれていましたので、
唐揚げと同じ原理なのだろうと思います。
話を戻します。
ご家庭には色々な事情があって、
止むに止まれず添加物入りの物を食する事もあるだろうと思います。
それは仕方のない事だと思います。
食さないに越した事はありませんが、
食する事は「悪」ではありません。
大切なのは、
どのように食するのか、
誰と食するのかでしょう。
私の母親が私たちに注いでくれたように、
愛を込めて拵えてくれたお食事は、
きっとどんな物にも代え難いご馳走なのです。
それを否定するのは何か違うように思いますね。
とは言え、
添加物が身体に及ぼす影響というのは、
紛れもない事実であるので、
口にする前に、
愛に感謝し、
お食事に感謝し、
素材に感謝し、
愛と共にいただく事が大事なのだろうと思います。
波動の観点からも、
ゆっくりとよく噛んで細かくしてあげる事、
微細にしてあげる事が大切なのだそうです。
高い波動は振動が微細なので、
それに合うように細かく噛み砕き、
消化しやすいようにしてあげるのです。
身体への愛でもありますね。
愛と感謝。
どんなお食事に対しても、
その心を大切にしながらいただきましょう、
という事なのでしょう。
どんな事情があろうとも、
私のために運ばれて来たものである事には違いありませんもの。
必要なエネルギーのみを、
感謝しながら愛と共にいただきます。
そんな気持ちでいただいたなら、
きっと身体に浸透する添加物の量にも変化が起こる事でしょう。
私の経験ではそうでした。
そういった経過を経て、
少しずつ減らして行けたら良いのではないか思います。
一人一人、
オリジナルのプロセスを楽しめば良いと思います。
私は、
ピリピリするとは言え、
やはり母親の唐揚げは今でも好きですよ。
思い出の味ですから。
量は食べられなくなりましたけれどね。