「これだ!」と思ってやって来た事は、
時を経て振り返った時に、
「何故あんな事に夢中になっていたのだろう」
と思う事も沢山ある。
その一瞬一瞬に全力を尽くし、
その流れに委ね自然と変化を重ねて、
様々な視野で物事を捉えるようになれば、
あの時の自分が描いていた未来を生きていない、
なんて事は当然に起こる。
どの瞬間も最善を尽くし、
その時の最高の選択を「自分」でして来て、
そして今の自分が在る訳で。
そんな筈はないのに…。
な筈もないんだ。実は。
成るべくして成った今なんだ。
そんな筈はないと、
今に抗って何かにしがみ付くも良し。
あの時に描いた未来の自分へと、
大きく舵を切り替えして再出航するも良し。
もしかしたら、
舵を切り替えた事で今度こそ辿り着くかもしれない。
過去の自分が描いていた未来へ。
相当な険しい航路だろうけれど素晴らしい事だ。
だけど、
今に辿り着くまでに、
そこへ繋がっている「道」を照らす灯の存在に気付いていた筈なんだ。
自分が行くべきはあっちではないんだなと、
チラリとでも視界には入った筈なんだ。
それでも、
自分の選択によって今に辿り着いたんだという事を、
見つめる必要がある。
それを責めるのではなく、
1つの考え方として、
自分の未来の姿は「いかようにも」変わるもの、
との認識を備えておくと少し楽だ。
更に、
自分が本当に大切にしている「軸」が明らかになる。
「軸」さえズレないのであれば、
未来の自分は如何様であっても構わない。
自分は変化しても構わない。
そんな風に捉えるんだ。
果たせない夢を「失敗」だと責めないよう、
自分は失敗しても構わないと、
許可しておくんだ。
他人ではなく、
自分が自分を先に抱きしめておくんだ。
何かに固執して、
自分を縛ってはいけない。
未来に生きるのではなく、
今に生きるんだ。
その為にも、
自分の中にある「いかようにも」のスイッチは、
今からでもONにしておくといい。
今見てる未来以上に、
素晴らしい未来を受け取る事も許可する事を意味するのだから。
思ったよりもちっぽけかもしれない。
思ったよりも大ごとかもしれない。
だけど、
事の深さは目に見える状況で測れるようなものではない。
自分の可能性を狭めぬよう、
見た目の華やかさに囚われぬよう、
心の目も養う事にも努めながら今を大切に生きよう。