今日まで、
そして今なお変わらず、
様々な事で多くの方にお世話になっていますが、
誰一人として私を変えた人はいませんでした。
これから先もずっと、
私を変えられる人が現れる事はないでしょう。
私を変えられるのはただ一人、私だけです。
変わると決める事が出来る、私だけです。
お世話になっている方々というのは、
例えばバレーボールで言うならば、
このゲームに参加してみる?と提示してくれたり、
手が痛くないようにテーピングの仕方を教えてくれたり、
途中で水分補給のお水を出してくれたり、
汗を拭くタオルを用意してくれたり、
私が打ちやすいようにトスを上げてくれたり、
キッカケを与えてくださる存在です。
それに対して私は、
ゲームに参加したくなければしないし、
テーピングの仕方も私が知ってたら聞かない。
水分補給のお水を持ってても足りなかったら貰うだろけど、
タオルはいつも持ち歩いてるかもしれない。
トスを上げてもらってもタイミングが合わないかもしれないし、
打ちたくなければジャンプもしない。
その時々でどうするかの判断をして、
自分が望むように行動しているだけなのです。
最終的に決めるのはいつでも私。
それに対して誰も咎める事はありません。
無理強いされた事もありません。
私がわがままを言った事も沢山ありますが、
それを不快に捉えられた事もありません。
私がそう思うならそれで良いよと受け止めてくださる方ばかりです。
自分は相手を変えられないと知っているから、
邪な想いが無いのだとわかります。
そんな姿勢からも学びがみえてきます。
誰も「私」を変えられないのと同様に、
私も「誰か」を変えることは出来ません。
驕る事なく、
「サポートさせていただく」くらいの気持ちで接するのが良い、
という事かもしれません。
無理だと思えば引けば良い。
それさえも自分で決めて良いのですから。
自分の人生を決めているのは自分だと知れば、
周りのサポートがどれ程有り難い事かわかります。
誰も「私」を変えられないと知れば、
誰かを理由に腹を立てたりする事もなくなり、
私が「誰か」を変えられないと知れば、
相手の行動に腹を立てたりする事もなくなります。
自分以外の事で腹を立てているうちは、
その辺りの認識がまだ弱いのかもしれません。
私たちは自分で選んだ人生を送っています。
誰も「私」を変えられません。
私も「誰か」を変えられません。
共に助け合って生きるのみです。