少し、流れが滞ってしまっていて、
鬱々となりそうなところに思わぬ感情の揺さぶりを得た。
少しエリート気取りの私が、
「あぁ、コレは私自身だわ。」
なんて遣り過ごそうとしていたので、
いや待てと、その感情をしっかりと味わわせてもらう事に。
感情をしっかり味わい、
それに対する対処もキチンとした上で、
それによる学びに目を向けて自身に落とし込んだ。
しかし面白いと思ったのは、
その滞りのお陰でやや足踏みされた事により、
思わぬ進展(私にしかわからない事)と、
思わぬビジョンと、
自分がこれから発揮していく能力の要素は何なのかを、
改めて見たり感じたりする時間を過ごした事。
もうコレは、
敢えてそうなるように仕込んだもの、
仕組まれたものとしか思えないスムーズさだった。
先日のスピリチュアル面談でいただいたメッセージが、
「待つ」だったのだけれど、
コレには小さいものから大きなものまで様々あって、
今回の出来事も「待つ」為のものであったとかんじている。
「例えばこんな感じね。」と示されたような。
流れが滞る時は、
抗ったところで流れないものは流れないのだから、
無理に押し流すような事はせずに、
その小さな流れに委ねて解放されるのを待つしかない。
その「待つ」間に、
自分の内側に何が起きているかを観察すると、
コレは何だ?というものに出会う。
そこで足踏みしたからこそ見えるものに。
全てはちゃんと用意されているのだと思う時でもある。