大宇宙のエネルギーを感ずる

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先日、清水寺の一般公開前夜間拝観に参加させていただき、
拝観前に森清範貫主(住職)の講話を拝聴いたしました。

 

森清範貫主は、このようにお話くださいました。

 

「佛とは全てのものに命が宿っているもの
という考え方がどの宗派でも共通

 

佛とは命
生きようとして生きれず
生きているから生きてる
平等で普遍的な掛け替えのないもの

 

見える命は身体(生物的)であり
見えない命はエネルギー(仏教的)である

 

大宇宙の無限のエネルギーをもらわねば
大自然の恵みをもらわねば
命あるものは生きる事は出来ない
仏教の基本 宇宙の真理

 

「めでたいかしこ」
という言葉があるが
これは
「めでたい時こそかしこまれ」
という教えである

仏教というのは感ずる風土」

 

大宇宙の無限のエネルギーを貰わねば、
我々は生きられない。

 

世の中には様々な宗教が存在しますが、
そこから装飾や欲を全てを取り払い、
本質にまで削ぎ落としたところには、
どんな宗教も同じ教えがあるのだと思います。

 

神は神を軽蔑せず、
神は人を裁かず、
神は愛で我々を包み、
全てを認め愛する存在。

 

 

 

宇宙の基本法は「愛」です。
その「愛」のエネルギーがなくては、
私たちは生きられないのです。

 

この講話を拝聴して、
心が喜ぶのをかんじました。

 

我々は「感ずる」という風土の中で、
命を繋いで来た民族です。

 

忘れつつある「感ずる」という事。
思い出さねばなりません。

大宇宙のエネルギーを受け取って生きているという事を。
この自然にある空気や水、
全ての恵みが無料で我々に与えられているという事を。
足るを知り、
欲を手放し、
真の幸せに生きるという事を。

 

めでたい時こそかしこまれ、とは、
悟りは静寂の中にしかなく、
から騒ぎをして盛り立てる事なく、
宇宙のように静かに感謝せよという事。

 

少し騒ぎ過ぎてはいないだろうか。
己の心の声も聞こえないほどに。
風に歌う木々の葉や鳥のさえずりさえも、
もう誰の耳にも届かなくなってしまっているのではないだろうか。

 

全てを削ぎ落としたところにある真なる心に、
今一度立ち返る時。
心の断捨離も行ってみてはいかがでしょうか。