季節外れの桜です。
身体の不調が起きた時、
一度巡らせて欲しい事。
それは、
「私は何故、それを引き受けたのか。」
という事。
熱が出た。
風邪をひいた。
何故それを引き受けたのだろう?
昨年の初め頃、こんな事がありました。
友人と、とあるパーティに参加しました。
とても豪華なパーティで、
参加者も勢いのある社長さんやその関係者ばかり。
とても場違いな空気をかんじながら、
私たちは私たちのペースでその場を楽しみ、
ひと段落のタイミングでそそくさと後にしました。
すると、
翌日から体調が悪くなり、
発熱までするのでおかしいなと思い病院にかかると、
インフルエンザの診断を受けました。
人生初のインフルエンザ。
その後、今日までもかかっておりません。
私は何故、
インフルエンザを引き受けたのでしょう。
実はその直後、
ほんの数日後に、
私の今日までの大変化の始まりとなる再会がありました。
その再会から、
私の中の総入替が始まったのです。
総入替を前に私の中を隅々まで大浄化すべく、
インフルエンザに感染したのです。
熱は浄化の意味があります。
インフルエンザの熱ともなれば高熱。
仕事も出来ない、
絶対安静、隔離です。
これから訪れる過酷な変化に備えて、
世間と遮断しての浄化が必要だったんだと思いました。
因みに、
そのパーティに一緒に行った友人も、
インフルエンザにかかりました。
友人も同じく、
激動の変化を迎えるタイミングで、
大浄化のためのインフルエンザだったようです。
「インフルエンザにかかりに行ったようなもんやな」
なんて言ってたのですが、
正にその通り。
大浄化に敵うインフルエンザにかかりに行ったのですから。
これはとてもわかりやすい例でしたが、
他の事でも言える事。
起こる全てに意味があります。
何故それを引き受けたのだろう?
そんな風に考えるのもご自愛だと思います。
働き過ぎだ、休め!
のメッセージ。
足元をちゃんと見ろ!
のメッセージ。
見えるものをしっかり見ろ!
しっかり見極めて判断しろ!
のメッセージ。
隠れてるからね。
先天的な病、後天的な病ならば、
「それを越えて幸せになる。」
という推測をすれば良い。
私たちは幸せになる為に生まれて来ており、
この不自由な地球で、
喜怒哀楽と努力を経験する為に生まれて来ています。
その病を越えて、幸せです。
これに続くように物語を作る事が、
その病の意味なのだろうと思います。
生まれる前の記憶のある子供の話でね、
その子は喘息持ちなのだけど、
何故喘息になったの?との質問に対して、
「だって病気を治すの楽しいじゃない」
と答えたんだそうです。
治すのが難しい病気を治して、
幸せを味わうために喘息を引き受けたのです。
それって、
それだけストイックな魂なのだと思います。
普通に生まれたんじゃ、
越えた感じが足りないから、
敢えてすんなり行かないように、
大きな病を持つ事を選んでいるのですから。
相当強い魂です。
だけど忘れちゃうんですよね。
生まれるとね。
それを思い出さないといけないんですよね。
コレって病だけの話ではなく、
LGBTや障害にも同じ事が言えると思いますよ。
それを越えて幸せになる為に、
それを引き受けた。
そう思うと、
考え方や見方が大きく変わると思います。
病のある人は、
自らを病人たらしめてはいけないんです。
障害のある人は、
自らを障害者たらしめてはいけないんです。
弱い自分で満足していてはいけないんです。
ストイックな魂の本質から考えるとね。
それを越えて幸せになるストーリーを描かなくては。
それを周りの人に示す事がお役割ですから。
ライトワーカーである事を思い出さなくちゃ。
自分は光であるという事をね。
何か不調が起きた時、
自分の心に訊いてみよう。
「私は何故それを引き受けたのか」
自分をニュートラルに保つ事でもあるし、
魂の声を聴く事でもある。
そして、
我が人生を生きるという事なんだと思います。