日常に溢れるメッセージ

日常に溢れる様々なメッセージを綴ります

歴史を知る 自分を知る

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確かに、歴史を知り、
これまでに起こって来た戦争や、
悲しい出来事を学び、
忘れない事も大切なのだろうけれど、


ならば、


自分自身を知り、
世界を眺める事も同様にとても大切なはず。

 

何故なら、
この世界は私たちの集合意識の繁栄。
この世界は私たちが作って来たものだからだ。

 

今は善人のように思っていても、
我々は輪廻転生を繰り返し、
それぞれの時代を生きた過去の自分が、
いつでも善人であった訳ではない。

 

その戦争で殺戮を犯していたのでは?
散々悪事を働いていたのでは?
金の亡者となっていたのでは?
振り返る過去の史実に書かれた内容に、
自分も携わっていたのでは?

 

そんな転生を繰り返し、
我々の想いがこの世界を作っている。
この世界は自分が作り出しているんだ。

 

すべき事は、
当時の悪となる対象に恨みを抱く事ではなく、
当時の自分の行いを反省し悔い改める事。

 

それらの悪事に対する課題は、
日々の生活の中で体験出来るように、
生まれる時に1人1人が用意して来ている。

 

持ち過ぎたものは持たないと決め、
強すぎた者は弱き立場を選び、
金に溺れた者は貧しさを味わい、
人を殺めた者はそれに匹敵する苦しさを選んで。

 

それらと真摯に向き合い解決していく事。
これも悔い改める事の1つのはず。
個人のカルマを解消する事は、
世界の為でもある。

 

自分を愛せとはどういう事か。
自分1人の為だけの事ではなく、
世界の為になる事だからこそ、
今声高に叫ばれているんだ。

 

節目節目に思い馳せる事は良い事ではあるが、
それを理由にして外にばかり目を向けてはいけない。
先ずは自分の中を見つめる事だ。
自分の中の戦争を終わらせる事だ。

 

 

世界を想うなら、
もっともっと自身を大切に想え。
そして愛せ。

 

 

そんな始まりの日に。

 

大宇宙のエネルギーを感ずる

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先日、清水寺の一般公開前夜間拝観に参加させていただき、
拝観前に森清範貫主(住職)の講話を拝聴いたしました。

 

森清範貫主は、このようにお話くださいました。

 

「佛とは全てのものに命が宿っているもの
という考え方がどの宗派でも共通

 

佛とは命
生きようとして生きれず
生きているから生きてる
平等で普遍的な掛け替えのないもの

 

見える命は身体(生物的)であり
見えない命はエネルギー(仏教的)である

 

大宇宙の無限のエネルギーをもらわねば
大自然の恵みをもらわねば
命あるものは生きる事は出来ない
仏教の基本 宇宙の真理

 

「めでたいかしこ」
という言葉があるが
これは
「めでたい時こそかしこまれ」
という教えである

仏教というのは感ずる風土」

 

大宇宙の無限のエネルギーを貰わねば、
我々は生きられない。

 

世の中には様々な宗教が存在しますが、
そこから装飾や欲を全てを取り払い、
本質にまで削ぎ落としたところには、
どんな宗教も同じ教えがあるのだと思います。

 

神は神を軽蔑せず、
神は人を裁かず、
神は愛で我々を包み、
全てを認め愛する存在。

 

 

 

宇宙の基本法は「愛」です。
その「愛」のエネルギーがなくては、
私たちは生きられないのです。

 

この講話を拝聴して、
心が喜ぶのをかんじました。

 

我々は「感ずる」という風土の中で、
命を繋いで来た民族です。

 

忘れつつある「感ずる」という事。
思い出さねばなりません。

大宇宙のエネルギーを受け取って生きているという事を。
この自然にある空気や水、
全ての恵みが無料で我々に与えられているという事を。
足るを知り、
欲を手放し、
真の幸せに生きるという事を。

 

めでたい時こそかしこまれ、とは、
悟りは静寂の中にしかなく、
から騒ぎをして盛り立てる事なく、
宇宙のように静かに感謝せよという事。

 

少し騒ぎ過ぎてはいないだろうか。
己の心の声も聞こえないほどに。
風に歌う木々の葉や鳥のさえずりさえも、
もう誰の耳にも届かなくなってしまっているのではないだろうか。

 

全てを削ぎ落としたところにある真なる心に、
今一度立ち返る時。
心の断捨離も行ってみてはいかがでしょうか。

 

 

 

いろいろ

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世の中には不思議な事が沢山ありますけど
もっと広い目で見ればそれは
不思議でもなんでもなく
予め用意されていた事なのですよね

 

その道を選ぶのは自分自身であり
その選択の数だけ
物語が用意されているのですから
不思議な事を不思議な事としているのは
誰でもない自分自身なのでしょうね

 

 

 

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親が子に最初に与えるのは「名前」
美しい「名前」


命は授かるものであって
親が与えるものではない


天から授かった命に「名前」を与えて初めて
この世での「生」となり
天寿をまっとうすべく
命の炎を燃やしていくんだろう

 

親は尊い光を与えられ
そのまま子に明け渡す


始まりはなんと神聖なるものだろうか

 

 

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人間は必要以上のものを持つと
欲が暴走します
足るを知る事です
私たちは皆繋がっているのだと知り
必要以上のものを手にしない事です

 

とは
シッダールタの言葉

 

果たして今の私たちはどうだろうか
個人法人問わず
足るを知っているだろうか

 

今や我々は
キリストやブッダと同じマインドで生きられる時代にある
苦行を為さずとも
彼らの悟りの意味を理解出来る時代にある

 

さぁ
私たちはどうだ
自分はどうだ
世界はどうだ

 

 

 

お料理いろいろ

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旬のさつまいもを使った芋羊羹。

ほぼさつまいも。

 

 

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即席で作った手作りピザ。

トースターに合わせて縦長に。

 

 

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しいたけと玉ねぎと梅干しの和風パスタ。

梅干しと醤油の組み合わせは最高ですね。

 

 

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丸ごと玉ねぎのグラタン。

この中には、まん丸玉ねぎが一個入ってます。

甘さが引き出されてとても美味しかった。

 

 

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お昼ご飯を公園で。

キャベツと厚揚げのトマトソースクレープと、

林檎とさつまいものコンポートクレープと、

残りのカットりんご。

ピクニックとグラウンディング光合成を兼ねて。

センスの良いラッピング(ラップ巻いて袋に入れただけの色気のなさ)。

 

 

食べたい!と思ったら自分で作ればいい。

これを実践しております。

最高のご自愛。

 

食べたいから作っているので、

お料理が楽しい。

そして、不恰好なものもあるけれど、

結構美味しく出来ているので嬉しい。

 

 

チーズを使っているので完全ビーガンではありませんが、

ほぼお野菜のみで作っていますので身体も軽いです。

 

お料理、楽しいですね。

 

 

 

身体を巡る水

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「水分補給はしっかりと」

特に夏にはよく聞くワードですね。

 

私たちの身体に吸収された水分は、

2週間〜6週間で体外に排出されるそうです。

 

なので、

今出た尿はさっき飲んだお水ではなく、

早くとも2週間前に飲んだお水が、

身体を巡り終えて出て来たものなのですね。

 

だから、

特に水分補給した訳でもないのに、

尿だけは変わらず排出されるのでしょう。

となると、

身体にある水分がどんどん減っていくという事ですから、

水分補給しないという事は身を削る行為。

今の自分の選択が未来の自分を創っていると、

とてもわかりやすく教えてくれています。

 

 

身体の不調は心の表れ。

代謝のサイクルを理解していれば、

その時期にあった出来事が心に大きな影響を与えているとわかるかもしれません。

 

私の肌荒れも、

ひと月程前のメンタルデトックスがかなり影響を及ぼしていましたしね。

 

 

人の身体は、

6年で細胞が全て入れ替わると言われています。

6年前の私と今の私は別人なのです。

 

 

今、何を選択するのか。

 

この一瞬一瞬の大切さを、

ほんの少しでも感じながら過ごしていきたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

宇宙からのコンタクト

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宇宙から放たれる一筋の光。

あの点が宇宙への入口で、

そこへ行けば宇宙に行ける。

行くべき星へと誘われる。

 

 

みたいに見えます。

 

実際には、山側から照らされたサーチライトが、

厚い雲に遮られているだけなのですが、

とても幻想的で、

宇宙からのコンタクトのように感じました。

 

 

宇宙からのコンタクトと聞いて思い当たる映画が。

おススメ3点をご紹介します。

 

 

1つ目は、ジョディー・フォスター主演の

「コンタクト」

1997年公開の映画です。

コンタクト 特別版 [DVD]

コンタクト 特別版 [DVD]

 

 詳細はこちらからコンタクト (映画) - Google 検索

 

 

 

2つ目は、クリストファー・ノーデン監督の

インターステラー

2014年公開の映画です。

 

詳細はこちらからインターステラー - Google 検索

 

 

 

3つ目は、短編小説「あなたの人生の物語」を基に脚本が描かれた

「メッセージ」

2016年公開の映画です。

 

 

詳細はこちらからメッセージ (映画) - Google 検索

 

 

 

どれも主たるテーマは「愛」なのですが、

ようやく広まって来た愛の視点で語られる内容が、

具体的なビジョンとして描かれている点、

可視化されている点が本当に素晴らしい作品です。

 

 

特に「インターステラー」は、

5次元の愛を可視化しています。

物理学とかなんとか難しい事を知らなくても、

自分の中にあるものが共鳴して、

よくわからないのに「わかる」その通りだ、

という感覚を覚える方が今なら多いと思います。

 

「コンタクト」は、

そんな動揺をも上手く描写出来ているような感じ。

1994年といえば、

スピリチュアル的な事や宇宙的な事への理解も浅く、

怪しいものとしか捉えられていなかった時代。

ごくごく少数の一部の人にしか、

理解が得られていなかった時代だと思います。

 

そんな時代によくこの映画を降ろしたなと、

違う感心も抱いてしまいます。

 

 

「メッセージ」は、

いよいよ本当に次の次元へと向かう準備が整い始めていて、

実際に起きているだろう事、

これから起こるだろう事を、

もう既に我々が「受け止められる」と判断されて、

現代に降ろされたもののようにかんじます。

 

他の2作品との違いは、

主人公だけがその「愛」の存在を体感しているのではなく、

そのミッションに関わる人全てが、

その存在を目の当たりにしており、

触れている人の数が多いという事。

 

今の世の中と全く同じです。

 

それを理解しているしていないの差はありますが、

「私たちは既にそこに居る」

という描写が正に今の時代を表しているな、

とかんじます。

 

 

 

本質を突いているのは「インターステラー」かな?

 

「コンタクト」は我々の目覚めを、

インターステラー」は5次元の愛を、

「メッセージ」は我々の今を、

それぞれに現しています。

 

 

「コンタクト」から「インターステラー」の公開までが17年、

インターステラー」から「メッセージ」の公開までが2年、

スパンがかなり短くなってますね。

 

 

次はどんな物語が誰に降ろされるのかしら。

なんて思います。

 

私たち一人一人、

それぞれにはいつも降ろされていますけれどね。

 

大切な事は目には見えない、

かんじる事を大切に。

よく観るんだよ。

 

そこに物語があるのだから。

 

 

という事ですね。

 

 

 

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昨夜は、清水寺の一般公開前の夜間拝観にお誘いいただき、

拝観してまいりました。

 

そこでふと思い至り今回の記事を書いてみました。

 

素晴らしいご縁に心から感謝いたします。

 

 

 

理解と行動

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頭でわかっていても

行動するのは本当に難しい

 

数々の「頭でわかっている事」がありますが

その中で行動出来ている割合はいかほどか

なんて思います

 

というのも

口で言いながら

実際に行動しながら

すっかりやれている気になっていたのですけれど

とことん行動し切ってやっとその

「頭でわかっている事」の実現となるんだと

そこまでにはかなりの「段階」があるんだと

断捨離を通してやっとやっとようやく「わかり」ました

 

 

あぁ全然わかってなかった…

と驚愕したのですが

それが「わかった」時には

芋づる式に他の事も併せて「わかる」みたいです

ポンポンといくつかが私の中で静かに繋がりました

 

 

そこまで気付いた時に初めて

「静寂」が訪れますね

 

 

真実はいつでも静寂の中にあって

お祭り騒ぎの中には

お試しクイズしか隠されていません

真の「わかる」には至らないのです

 

 

悟りや解脱に至る人ほど静かだという言葉を耳にし

深く深く納得しました

やはり「静寂」に向かうのだと

 

 

逆に言えば

静寂の中にない「わかる」の段階であるのなら

この先まだ何段階もの「わかる」が訪れるという事ですね

 

 

良い悪い優れてる劣っているの話ではなく

単に

人それぞれの段階に合わせた「わかる」がある

ただそれだけの事

 

心の状態を指標として

その学びを楽しめばいいという事

 

 

自分が進む道にしか

その答えは落ちていないし

自分の代わりは誰にも務まらない

このルートを誰にも譲る事も出来ない

「行く」しかない道を独り占め出来る

自分だけのスペシャルだから

楽しんでこそ人生なのでしょうね

 

誰か何かに明け渡しちゃダメね

「静寂」に辿り着くまでは