日常に溢れるメッセージ

日常に溢れる様々なメッセージを綴ります

出来るなら見たくない

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時にグラウンディングをして自然の中に身を置く事で

自分の中に溜まった重いエネルギーを解放します

 

 

自分を大切にするには

自分の中の全てを受け止め

それで良い そのままで良いと

認める事になるのだけれど

 

今を生きると決め

自分の直感や魂に従って生きると決めると

何故だか自動的に

これまでの自分の行いと

向き合わせられるのです

 

目を逸らしたくとも出来ず

見せられるのです

 

 

もう自動的に

 

 

大丈夫

私頑張ってる

そのまま行け行け

いいぞ!輝いてるぞ!

 

とルンルン行けるもんだと最初は思っていました

確かにルンルンな時もありました

 

けれど「準備が整った」時

始まるんですねソレが

 

 

ただ思考を止めて

今をかんじる事に集中しようとしていただけなのに

あのスイッチは

自分ではどうする事も出来ない

 

 

起こる事は必然であり

今を生きるのであれば

流れに任せるしかありません

 

つまりは

見なければならない物があったのですね

 

それを越えなければいけなかったんですね

私は

 

辛い 苦しい

助けて もうヤダ

 

あの闇は気が狂いそうだった

 

何故私にそれが必要なのかは大体わかってます

だからこそ抵抗する事なく

甘んじてその流れに従いました

 

 

出来るなら見たくなかったよ

 

あんなに怖い思いをするなら

あんなに辛い思いをするなら

あんなに苦しい思いをするなら

あんなに悔いる思いをするなら

 

見なくて良いなら見たくなかった

 

 

今だから言えるんだけどね

抵抗する間も無く訪れた出来事を

越えるために必死だったから

そんなの考える暇なかったもんね

 

 

私には必要だったとわかった上でも

辛いものは辛い

それもキチンと受け止める

では後になって辛いとかんじるのがイヤならば

 

今どんな選択をするのか

 

という事をかんがえながら

日々をいかにして過ごすかが問われるんだね

 

 

無意識に舵を明け渡さないで

どんな時も自分が舵を取る事

 

恐れを解放して

自分の中の真実に生きる事を

自分で選ぶんだね

 

助けは沢山あるから

安心して思うようにやればいいんだよ

 

 

 

 

 

 

自分だけのオリジナル

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誰かから

その人が通った道程を教えてもらったとしても

その事を鵜呑みにはせず

参考にさせていただくに留めた方が良い

それはあくまでその人の道でしかないのだから

 

自分がその道を行く時には

途中であちらに道をそれてみたり

聞いていたそこには立ち寄らないでみたり

あそこでより長く滞在してみたり

違う分岐を進んでみたり

オプションにオプションを重ね

結局は自分だけのオリジナルの道を行く事になる

 

誰かにとって良かったからと言って

自分にとっても良いとは限らない

 

疑い過ぎるのは悲しい事ではあるけれど

真に受け過ぎるのも自分がなさ過ぎる

 

自分はどうなのか

 

たとえその人がそう言ったとしても

自分にピンと来なければ

それは自分が選ぶものではない

 

自分はどうなのか

 

いつもいつもそれを心に訊ねる

 

自分はどうなのか

 

そうして

自分だけのオリジナルを紡いでいくんだ

 

なんとも楽しい旅だよ

 

 

 

正しさを求めない

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目の前で起こる出来事は全て

必要があって起こる事

 

そこから何をかんじるかは全て

自分の捉え方で決められる

 

いかようにも変えることが出来る世界では

どんな選択も必要があって選ばれたものとなる

 

正しさは正義ではない

正しさだけを追い求める事が

誤りを生む

 

コレはどういう事だろう

 

コレは何か意味があるのだろうか

 

客観的に出来事を眺めると

正しさはどうでも良くなる

 

自分にとっての気持ち良さ

自分にとっての最善

 

それが出来事として顕現化されたとわかれば

とっても気持ちが楽になる

 

流れに任せながら

自分で彩っていくのが人生の醍醐味

 

正しさ求めず

ただ出来事として

それを楽しむのが良いのではないかな

 

 

 

 

 

愛とは

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愛ってなぁに?

 

と聞かれたら

 

今ならば

 

「金木犀の香りのようなものだよ」

 

と答える

 

 

 

普段意識する事はないけれど

 

ある日突然ふわぁっと優しい香りが流れてくる

 

 

あ 金木犀の香りだ

 

 

そう気付いて顔も心もほころぶ

 

 

金木犀の季節だね

 

良い香りだね

 

金木犀好きだな

 

 

そんなふうに毎年思う

 

 

 

 

変わらず在るもの

 

 

 

 

愛ってそんなかんじ

 

 

 

 

瞑想

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毎日瞑想していて想う


1日の中で
これほどまで自分に集中する事って
あまり無いなと


自分の意識は常に
自分以外の他の何かに分散されていて
自分が薄れた状態で生活しているんだなと

 

 

メンタルを整えるのには瞑想が良いと聞くけれど
本当にそうだと思う


散らばった自分を1つに戻す作業だもの

 

自分で在る事に意識を向ける作業だもの

 

 

自分が自分で在る事を毎日意識する事

私でありがとう 私にありがとう

そんな時間として

瞑想はとても有効だと

実践してこそ心から思う

 

 

 

キレイゴト

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これは私の経験なのだけれど


大概の「真実」だと思える事って
自分が初めて言葉として耳にした時は
キラキラし過ぎてキモいしウザい

 

だけど時を経て振り返ると


「自分みたいな者がキラキラするなんて事があってはならない」


という制限をしていたとわかる

 


口で言うのと心で想うのが矛盾して
拒否反応というカタチで感情が動いていた

 

 

日当たりの良い場所で心地良く過ごしていると
ずっとここでのんびりしたいなぁと思う

そこにいるからこそそう思う


日当たりの良い場所に行かないから
その心地良さがわからなかっただけで
何か資格がいるのかもしれないと言う思い込みをしていたから
踏み出す勇気が持てなかっただけで
本当はそこに行きたくて仕方なかったんだ


きっと怖かったんだね
だから
怒りという感情で自分を守ったんだ

 

それはそれで1つの優しさであり
1つの愛だね


今だからわかる

 

「自分」はいつも

自分を守ろうとしてくれていて

何があろうとも否定しない

唯一の味方

 

その在り方は

美しさそのままなんだよね

 

真実というのは

美しいんだ

 

キレイゴトに少しくらい

心を向けてもいいんだよ

 

 

 

 

有難い事

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ここ最近お会いした方々から立て続けに

「あなたとお話してスッキリした」

「あなたのお話を聞いてるとモヤモヤが消えた」

との有難いお言葉を頂きました

 

その時は嬉しくて正直に

「ありがとう!」

とお伝えしましたが

実際には私は何もしていないのです

 

きっとお相手様は「そんな事ない」と仰るでしょうけれど

私の視点から見れば

 

その方々が

誰かの言葉や何かの出来事をキッカケに

舵取りし直すスキルをちゃんと備えてらして

どんな事にも謙虚に向き合う姿勢がある

ただそれだけなのです

 

 

例えるなら

 

 

砂漠を走り抜けるカーレースに参加したドライバーが

少しハンドルを切るタイミングが遅れて

砂の傾斜に片輪が落ちたために

車体がズルズルとずり落ちた状況で

どうやって上に上がればいいか試行錯誤してる時に

上で見ていた私が

砂の状況から斜めに走ったらいいかもね

と手を上げて「ここだよ」と言ったとする

 

「ここだよ」

と手を上げた私を見ただけで

そこに行くための道どりやハンドルさばき

タイヤの角度とか何とか細かい事を

パパパッと計算して

「そうか!」

と勝手に上がって来た

みたいな感じです

 

 

ゴルフの最後のパターの時に

私はキャディーさんで

カップの旗?を持って立ってるだけだけど

私が持つ旗を参考に

傾斜や芝の状態や風の強さなどを計算して

ボールを叩く強さやパターを当てる角度

振り上げる高さなどを調整して

勝手にカップに入れた

みたいな感じです

 

 

カーレースで言うと

技術などもさる事ながら

常にタイヤを前に走らせ

エンジンを止めずに進み続けているのですね

それを

その方の精神世界の中でも実行されてるんです

 

私が何か言ったかもしれないけれど

実行したのはあなたですよ

という事です

 

それを見て私は凄いなぁと感動してるんですね

うわ!上がってきた!とか

おぉ!入った!とか

ただそれだけなのです

 

 

 

自分で解決する決意のある方とのお話は

こちらも疲れる事がありません

 

 

私に癒して貰おうという気満々で来られると

エネルギーを取られて私が疲れるのです

エネルギーバンパイヤというものですね

そうなると

私もしっかりといつも以上にプロテクトしなくてはいけませんし

次回以降は敬遠する事にもなります

 

 

先の言葉をくださった方々とは

きっとエネルギーをキレイに循環させる事が出来たのでしょう

淀みなく流れたのでしょう

 

奪い合う事なく

与え合うエネルギーの流れが生まれた時が

癒しというものなのだろうなぁと

人との会話から教えてもらうばかりです

 

新たな気づきもいただけて

それはそれは有難い時間です