日常に溢れるメッセージ

日常に溢れる様々なメッセージを綴ります

先人の教え

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歳を重ねることを嘆くものじゃない

身体の不調を歳のせいにするものじゃない


心が晴れやかならば身体も健やかなんだ

自分の在り方1つで

この世界は幸せに満ち溢れ

いかに豊かであるかに気付けるものだ

 

自然と触れ合うのは良い

何か特別な好みがなくとも

自然の中に在る自分を好きになれる

あちこちにある小さな花や元気な緑

知らない事を知る喜びを味わい

何となくあの花が好きだなと思えたり

心を軽くしてくれるのだから

 

誰かのせいにしていては

全てが愚痴になる

自分が気を付ければ良いんだと気付けば

怒らずにすむ


全ては自分の在り方なんだよ

 

 

 

と語ったいつかのおじいさま

人生の師が語る言葉は

とても温かくて愛に溢れるものだった

この教えを

自分が幾重にも歳を重ねたとしても

胸に留めておきたいと想う


有難いお言葉に感謝

 

自分の歴史を振り返る

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今日は己巳の日。

弁財天さまや、白龍、白蛇をお祀りする神社に詣ると財運がアップするのだとか。

友人の薦めを受けて、地元神社を検索してお詣りに出向く事にした。

 

 

すると不思議な事に、

幼少期に初詣で毎年お詣りしていた神社だったり、

かつて飼っていたワンコの散歩コースとして、いつもお社の周りをグルリと回っていた神社だったり、

初めて勤めた会社の近くの神社だったり、

全ての神社が自分に縁ある神社だった。

 

初詣でお詣りしていた神社では、

母親の大きなコートを借りて着てたなぁとか、

 

ワンコとの散歩では、

ここでウ○チするんじゃないぞ…

と内心思いながら、

のんびり歩いてたなぁとか、

 

初めて勤めた会社の近くの神社の玉垣には、
当時のお客様のお名前がチラホラあって

皆さまお元気かなぁとか、

 

色々思い馳せた。

 

いつも懐かしの場所へ訪れても、

懐かしさも何もかんじないけれど、

今回は各所で懐かしさと心地良さをかんじ、

財運云々はともかくとして、

自分の歴史を振り返る時間となった。

 

 

あの時間があって今がある。

私が何の意識もなくノホホンと生きていた時間にも、

変わらず私たちを護り続けてくれている場所があって、

守り続けてくれている人もいるんだと、

改めて想う機会となった。

 

 

有難い事だ。

 

 

 

 

 

自然に溶け込む

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美しい夕暮れ。

海と空の青と赤が混ざります。

遥か遠くを見つめながらそんな風にかんじるけれど、

目に見える場所だけがそうなのではなく、

それを見ているこの場所もそうなのですよね。

 

目の前の出来事の因果関係には気付きやすいけれど、

その時自分には何が起きているのかには気付きにくいものです。

 

目の前の出来事は、

自分の内なるものが原因で引き寄せています。

なので、

なぜそれを引き寄せたのか、

本当の胸の内を知る必要があるという事でもあります。

 

それを観る勇気が持てたら、

観る事が出来たら、

様々な事が大きく変わっていくのだとかんじます。

 

相手にも寛容になれるし、

自分にも寛容になれます。

 

ごめんなさい。

ゆるしてください。

ありがとうございます。

愛しています。

 

気付かせてくれた(引き寄せた)自分に、

出来事を見せてくれた相手に、

心から言えるようになると思います。

 

それこそが自然なのかもしれませんね。

様々な苦難を体験し、

乗り越えるために私たちは生まれて来ているのですもの。

 

 

 

 

均衡を保つ

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過剰な自信も

過剰な謙遜も

どちらもエゴである

 

その間で均衡を保つことが

本来の在り方

 

芽生えるものは否定しなくて良いけれど

何事に於いてもどちらかに偏るのではなく

その均衡に意識を向けるという「意識」を

自分の中に備えておく事だ

 

 

 

忍び寄るもの

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私の部屋は陽当たりがあまり良くありません

日中でも薄暗いので電気をつけます

 

なので少々薄暗くても

元々陽当たりが悪いしとの諦めがありました

 

ここ最近は

眼精疲労やちょっとした体調不良があり

薄暗い部屋では目が見えにくくなりつつあります

 

部屋の明るさは体調によっても

見え方に左右されるんだなぁ

そう納得していました

 

けれど段々と見えにくくなる

日に日に見えにくくなる

 

何故だ…と思ったら

 

 

 

 

蛍光灯の寿命が来ていただけでした

 

 

 

徐々に灯る明かりが暗くなっていた模様

隣の部屋と比べると断然暗い

そこで気が付いたのですが

何故それまで気付かなかったのだろうと

不思議でした

 

 

そもそもが

他の部屋と比較するタイミングが無かった事

本当にわからないくらい少しずつ暗くなっていた事

自分しかその部屋に入らなかった事

それによって気付くのが遅れました

 

新しい蛍光灯を買って早速交換しましたら

それはそれは眩し過ぎるほどに明るくなりました

こんなに明るかったのかと驚きです

 

慣れって凄いですね

少しずつ段階的に変化すると気付かないものですね

他の家族が少しでも立ち入る事があれば

もしかしたらもっと早くに気付けたかもしれません

色々な条件が生み出した出来事でした

 

 

さて

部屋の明かりの話で良かったなぁと思います

これがもし

 

 

自分の心の光だったらどうでしょう

 

 

誰も立ち入る事なく=閉鎖された心の環境

段々とわからないくらいに少しずつ暗くなっていた=段々とわからないくらいに少しずつ心が沈んでいた

 

少しずつ忍び寄るものは

本人は気が付けないという事です

 

 

どうしても気持ちが沈みがちな時は

自ら孤立しているという合図

 

そんな時こそ

誰かとコミュニケーションを取れるよう

心掛けたいと思います

 

自分の力で

忍び寄る影をコントロール出来るように

 

そうすると最終的には

そもそも影が寄って来ない自分へと導ける

そんなようにかんじます

 

 

 

気づきと恥じらい

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気付きが起こると

後日

それを確かめるかのように

同じような状況を味わう事がある

 

あぁそういう事か

 

と再確認して

改めて自分に落とし込む

 

その時は大体が

冷静に状況を観る事が出来ていて

「あの時のアレと同じだ」

と冷静に判断出来ている

 

なので

静寂の中スーっと落ちていく感覚がある

 

 

ところが

 

それとは全く違う感覚で落ちていく

というよりも

思い知らされる事も往々にしてある

 

 

それは何でもない時

道を歩いている時

自転車をこいでいる時

電車に乗っている時

仕事中の集中した時間にふと気が抜けた時

 

或いは

何かの説明を受けている時

誰かの話し声が聞こえてきた時

目の前の無関係の出来事を見てる(視界に入る)時

などなど

 

緩んでいたり緊張していたり

ある意味隙がない時の隙間に

それは突然落ちて来る

 

 

その時にも静寂はあるのだけれど

感覚としては

静寂の中に超高速でシュッ!と一直線に落ち

その後マグマのように自分の内側から

ヌラヌラヌラヌラッ!!!

と爆発的にある感情が沸き起こるのだ

 

 

それは

 

「恥ずかしい」

 

という感情

 

 

かつての自分の言動が

まるで再現ドラマのように

脳内によぎったり

目の前で繰り広げられたりする

 

それを

今の感覚で眺めると

あの時の自分が蘇り

心底恥ずかしくなる事がある

 

あぁごめんなさい

あぁ恥ずかしい

許してください

そんな私を受け止めてくれてありがとうございます

恥ずかしい

 

 

そんな風にして

自分の中に落ちて来ることもある

 

 

そうする事しか出来なかった自分を

時空を超えて抱き締めているのかもしれない

 

 

(ヌラヌラってどういう音だ)

 

 

 

人を変える

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心理学を学んだ時に、

講師の先生から繰り返し言われた事は、

相手を変えられると思うな、

という事。

 

自分は相手を変えられるという自惚れや慢心は、

エゴを引き出し、

メサイヤコンプレックスへと変化する事になりかねない。

本来の目的からはかけ離れてしまい、

自ら火に飛び込む事態を招く。

 

 

だけど唯一、

人を変える方法がある。

 

 

それは、

 

 

自分が変わる事だ。

(想像出来ただろうけれど。)

 

 

自分が変わる。

見方、視点を変える。

捉え方を変える。

在り方を変える。

 

それらの変化によって、

相手の言動の受け止め方が変わる。

 

つまり、

相手が変わって見える。

 

実際には相手は何も変わっていないのだろう。

こちらの捉え方が変わったのだから。

 

だけど、

こちらが変わった事に影響されて、

相手も本当に変わる事がある。

相手が変わった事に影響されて、

またこちらも変わっていく。

互いに研鑽し合うのだろう。

 

ただし、

こちらが相手を直接的に変えたのではなく、

相手が自らの意志で変わる事を選択しただけだ、

という事を理解しておく必要がある。

 

逆も然りだ。

 

相手に直接的に変えられる事はない。

自らの意志で変わる事を選択しているのだ。

 

 

結局のところ、

相手を変えたければ、

先ず自分が変わらなければならないという事。

 

ご縁のある方ならば、

先に書いたように研鑽し合って相手も変わる。

 

お役割を終えた方ならば、

そこでご縁も終わりを迎える。

 

 

自分次第、とはわかっていても、

どうしても相手に何かしてやろうかと思うもの。

その感情をコントロールするために、

一度深呼吸して、

「鏡」を覗くクセを身に付けておきたいと思う。